3.11 | こばやんのタンタン譚

こばやんのタンタン譚

どーもこばやんです
そのとき浮かんだ一期一会の思い、ぼんやり考えてきたこと、たまにときめいた音楽のことをつらつら書き連ねます
よろしくです(^^)

みなさんこんにちは。




KobaYangです。




3/11。




3月のひとつのキーになるこの日。




この日を迎えた瞬間、
ぼくはこれを観ていて胸が熱くなりました。







そして平穏な朝が訪れることを祈り、
眠りにつきました。




未明にザワつかせる地震がありましたが、
こうして今生きています(苦笑)。




過去を振り返るテーマは
書かないつもりでいるのですが、
この日がこの日なので、今回はご容赦を。






2011/03/11 14:46。




ぼくはそのとき、
大学での全課程を修了して、
実家でくつろいでいました。




そして、1分以上も続く揺れを体験し、
ただではないことが起きたと直感。




実家のある千葉県柏市は
たしか5強だったかと思います。




実家自体は被害が出ませんでしたが、
当時アルバイトで働いていたスーパーは
床がワインの海になっていて
後処理に苦労したそうです。




ぼくの担当していたナイトセクションは
冷遇されていたのか、
応援の呼び出しはありませんでしたが(苦笑)。




あの日の夜は、
明かりのほとんど消えた東北地方の海沿いの
あちこちから火の手が上がっているのを
テレビで観ました。




その数日後には、
繰り返し押し寄せてきた津波が、
車を一瞬にして瓦礫に変えるその一部始終も
観てしまいました。




アニメで似たようなものを
観たことはあっても、
それが本当に起きると胸が張り裂けそうでした。




あの日の前日まで、
大学卒業の慰安旅行で
東北と新潟に行っていた身なので。




建物が倒壊して
変わり果てた市内の映像を観て、

「一昨日そこ賑わっていたのに」

と悲しんだのを今でも覚えています。




・・・・・・




たしかあの日の3日後、
12年前のホワイトデー。




晴れて暖かかったのですが、
ぼくの気持ちは絶望感で満たされ、
自殺志願者になったかのように、
人気のない土手に行きました。




「放射能がこっちに来る」
「うめき声が聞こえる」
「社会人なんて怖すぎるから
いっそおれの体も汚してくれ」




いろいろな思いが巡っては
泣いていたっけ。






そして、12年の年月が過ぎて、
3.11への思いを乗せた音楽がたくさんでき、
今日を迎えています。




作品の数は増えて、
その分の重みは増えていきます。




しかし、日常の忙しなさによって、
記憶の重みが減っていくことは
ある程度致し方ないのかもしれません。




それでもぼくは、
数多の生と死の分岐点で常に生を選んで
ここまで命を繋いできました。




生きていられる限りは、
伝えなくちゃ、と思う物事を
多くの人に伝えていくことこそが
ぼくの使命だと思います。




作品を生み出すスキルがないのならば、
せめてできた作品を受け継いでいくための
架け橋になりたいです。




Pray for 3.11。




犠牲になった方々の安穏を
心よりお祈り申し上げます。




KobaYang