日本(タイ)からの生活情報

日本(タイ)からの生活情報

タイでの生活情報を載せて来ましたが、
2022年12月よりタイに住んでいます。
暖かいタイの方が住みやすいです。

タイに38年住んで、日本に定住開始しました。。
現在、健康・病気、株式市場などに関心を持って、
作家活動しています。
関心を持っています。

  もうすぐ75歳になります。

そこで子供たちのために遺書を書きました。
その理由は以下の通りです。
いつ天国に行くかは、分かりませんが、
今から準備して置きます

 

   遺書を作る理由

  1 いつ死ぬかわからないので事前に用意して置く。

  2 死んだ後だと事実が不明で、遺族が大変であり、
         労力を省くため。

  3 遺産相続者の間で喧嘩するのを防ぐ。
        そのようなケースを沢山さん見て来ています

  先月の23日のコンドミニアム総会で理事に選ばれました。

しかし、なんとその理事は定数9名にもかかわらず3名だけです。

この3名で、150ユニットのオーナー代表とする事になり
ました。

頼りになるのは管理会社で、基本的に提案は了承することに
しています。

あとの2人はどんな考えでしょうか?

ところで、理事に就任しても法律行為はできません。
なぜなら、土地局に理事登録が必要だからです。
この期間
1~2ヶ月かかるとのことで、その間理事が
不在となります。
なんと奇妙な状態ですね

 

コンドミニアムの理事に就任

 

  ラオス、バンビエンの川岸

   

朝早く、市場へ行きました。

市場といっても道路の両脇に商品を並べて売る、という
昔ながらの商習慣です。

下の写真により、情景がわかるというものです。

ここバンヴイエンを
1泊してビエンチャンに戻りました。

とにかく日中猛暑なので外出は無理でした

喫茶店もなく行く所がなくビエンチャンに戻った次第。

ここビエンチャンには、アメゾンという何時間でも
過ごせる場所があります。


明日ビエンチャンからタイの国境のノンカーイに行き、
そこで1泊しその後バンコクに戻る予定です。
とにかく、今
回の旅は暑かったです。
 

   朝市の風景

  今日からバンビエンという町へ行きます。
この町は風光明媚なので、ぜひとも一度行って見たかったのです。
ビエンチャンから車で北2時間位の所にあります。

中国が建設した鉄道駅があります。

 

そこの町のイメージとしては、下の写真の通りで、
とても憧れています

そこに一泊して明日の朝ビエンチャンに戻ります。
その後の予定は未定です。
この年になっても、未知の世界を求めて新しい冒険を
しています。

 

  バンビエンの風景

首都ビエンチャンの様子

ラオスの首都にもかかわらず、タイの地方都市のように
小規模です。

人や車が少ないです。よって、騒音が低く、空気が綺麗です。
今の季節は残暑なので、日中は猛暑です。
日中は外出を控えているようです。

人々の生活は、タイの
50年前と同じように感じます。

人間はタイより素朴に感じます。

タイ語が通じるので、外国に来たという感じがしません。

食べるところが少ないのに困っています。
なぜなら、普通の人は外食しないで家で食べているようです。

「シン」呼ばれる巻きスカートを着用している人が多く
目立ちました

 

    AMEZONの喫茶店

 

  今日の夕方から寝台バスに乗って1週間ラオスに行きます。

6年ぶりの訪問です。
ラオスはタイの40年前の生活状況です。

タイムマシーンに乗って40年前に戻る感じです。
 

この国は何もない国と言われています。

しかし、大自然があります。かつ人々の純粋な心に触れる事が
できます。

そんな中でのんびりと過ごしてみたい。

   ラオスの凱旋

 タイの日本人社会で活躍していた坂口秀貴さんは、3日前に
突然病院で亡くなりました。

遺族によると、3日前の夕方、体調を壊して病院に入院し、
翌日の朝死亡しました。

そして、当日の夕方に荼毘(だび)に付されました。

何という迅速な動きなのでしょう
 

病院に入院して翌日の朝死亡する、というありえないことが
起きました。

その理由は分かりませんが、病院はコロナが死因と発表して
います。


坂口さんと知り合って約20年位になります。
日本タイクラブのタイ支部代表として活躍していました。
その他、タイの日本人ロングステイの会や歴史を語る会の
世話役として活躍していました。

余人を持って代えがたい人でした。

来月55日、午前10時よりテープシリン寺で葬式が行われる
ようです。

関心のある方は、電話0818288756番で喪主の妹さんに
連絡が取れます。

最後に冥福を祈ります(合掌)。  享年62
 

   歴史を語る会、左端が阪口さん

  先週行われた所有するコンドミニアムの総会にて理事に選出
されました。

定数9名の所5名しか立候補していないので、頼まれて立候補した
ものです。

この年になると、行動が伴わないもののアドバイザー的立場で
最小限協力することにしました。


もちろん無報酬ですが、タイ人との接点を大切にすること、
またボケ防止の目的もあり、承諾した次第です。
 そうそう、
1年前の総会で選出されたものの、資格審査で就任出
来なかった経過があります。

これから、この分野での勉強が始まります。
 

    総会の風景

先日同郷出身の友人に会った時、樋口元中将のことを語って
くれました。

こんな有名な人がいるとは知らなかったです。少し驚きました。

戦時中活躍した人で、今では人道主義者して敬まれています。

その業績は、東洋のシンドラーと呼ばれた外交官、杉原千畝
(ちうね)と勝るとも劣らないです。

 

彼の事はネットで参照できますので、そちらを参照ください。
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01097/
 

この事実を知って、ちょっと残念なことがあります。

それは、石狩市のホームページに樋口李一郎記念念館の事が書
かれていないことです。

 

追って、石狩市の担当者に問い合わせて見たいと思います。
 

  死ぬまでに行ってみたい

 少しできる事として、社会に役立つ活動として里親になって
います。

皆さんもいかがですか。

詳細は以下の通りです。
イモンさん(12歳)が、私の似顔絵を描いてくれました。

若作りにできていますね

 

https://www.rainbowschoolthailand.com/ja/main/

タイ王国社会開発・人間安全保障省から社会貢献賞を受

 

(学校の説明)

虹の学校は山岳民族の厳しい境遇にある子供たちを受け入れ、
生活・教育活動をおこなっている学習センターです。

タイ王国西部・ミャンマーとの国境の町サンクラブリーで、
持続・循環する暮らしと社会の模索・実践を通して教育・
生活支援活動を行っています
 

facebook

https://www.facebook.com/nijinotane.bangkok/?locale=ja_JP

 

  イモンさん(12歳)が描いた