このお話は、以前にも投稿いたしましたが、
ぜひお読み頂きたいので、再度掲載させていただきます


私もこのお話は生涯忘れることが出来ず、
今まで霊視を行ってきた中でもとても「愛」を感じる輪廻転生のお話でした


是非お読みくださいね


【広島原爆投下〜原爆で亡くなった我が子が転生して母に巡り合った実話】


8月6日が来るたびに思い出す実話・・・。

以前、私のスピリチュアルカウンセリングにお起こしになられた女性のお話で、

私の1冊目の書籍

「神様がママのところに生まれなさいって言ったの」の中にも
執筆させていただきました。


親子の絆、愛を感じるこのお話、

ぜひ、一人でも多くの方にお読みいただき、「愛」を感じていただきたいです。

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【原爆で亡くなった女の子の願い〜もう1度お母ちゃんに会いたい】


「8月6日」 

日本人にとってこの日は特別な思いを抱く日です。広島への原爆投下・・・。 

今、平和なこの時代に生きる私には、到底その苦しみ、悲しみが分かるはずも無く、

毎年この日が来るたびに、心よりご冥福をお祈りし、黙とうを捧げることくらいしかできません。

そして、あるクライアントさんにカウンセリングを行なったことをきっかけに、

さらにこの日は私にとって思い入れの強い日となりました。 


石川美沙さん25歳。 


一見、とても元気そうに見える彼女ですが、私の元をたずねて来た当時、

辛い体の悩みに苦しんでいました。美沙さんの悩みは、1年ほど前から全身に出来た皮膚疾患の事で、

いくつもの皮膚科の病院で治療を受けたものの、一向に良くならないという状況でした。


美沙さんの皮膚は、まるで、ひどいやけど跡のようにジュクジュクと膿んで痛々しい状態でした。 

「こんなに皮膚科に通っても、どんなに薬を服用しても良くならないんです。

もうどうしていいか・・」と、美沙さんは涙を浮かべていました。 


その様な状態に、何か霊障があるのではないか、と心配して私のカウンセリングルームに相談に来られたのです。 


そして、美沙さんにはもう1つの相談内容がありました。

美沙さんは当時、医療機器開発の研究員の職についていて、

アメリカの研究所への配属移動が予定されており、日本で担当している開発が終了したら、

すぐにアメリカに発たなければならない状況でした。

一度、アメリカへ行ったら数年は日本に戻る事が出来ないため、彼女はとても悩んでいました。 


悩む理由は、現在、結婚を前提としてお付き合いをしている男性(大樹さん)がいて、

アメリカからの帰国後に結婚するか、それとも、結婚して会社を退社するかを迷われていたのです。

帰国後の結婚だとしたら、それがいつになるか分からない中、

相手に待っていてもらう事も申し訳なく思うと同時に、現在の仕事も重要な役割を任せられていて、

自分がどこまで研究開発を成功させられるか挑戦してみたいという気持ちも強くあるとの事でした。


もちろん会社を辞めて結婚したら、アメリカには行く事は出来ず、

開発の一線から退かなければならず、この事でもとても悩まれています。 


その様な彼女の悩みを聞き、私は、いつものように、霊界通信を行い、

守護霊様から送られてくるメッセージやビジョンを受け取る事に集中し始めました。 


まずは相談内容の1つである、皮膚疾患について・・・。 

ゆっくりと、意識をフォーカスし始めます。 


しばらくすると、私の目の前に、ある光景が浮かび始め、

まるで映画のフィルムを回しているかのように、ゆっくりと、だんだん鮮明に映し出され、

そして、私の手は、その受け取ったビジョンやメッセージをノートへ記録し始めました。 


映し出された光景は、日本でしょうか・・・。


現代の感じでは無い、いつごろなのかは、はっきりとしない映像でした。 

そして小さな、2歳~3歳くらいの女の子がまず始めに見え始めました。 

その女の子の側には、5歳くらいの男の子と、その子供達の父親らしい男性が見えます。 


「何をしているのだろうか?」、「母親は?」 


私は周りの気配をさらに感じ取ってみましたが、親子3人の姿しか見えず、
母親らしき人物の気配は感じ取れませんでした。 


私はこの3人に意識をフォーカスしてみました。 


「何をしているのか・・・・?」 


と次の瞬間、私は今まで見た事も無いような不気味な強烈な光を感じ取りました。
ストロボのような強烈な青白い光、稲妻のような、
いや、どちらとも違う、例えようのないほどの不気味な光、
そして地響き、爆風、目の前にある全てのものは一瞬にして吹き飛ばされ、破壊しつくされました。 


私は、はっと我に返って、美沙さんの顔を見上げました。この時、見上げた私の顔が、
よほど歪んでいたのか、

「何か・・・変なものが見えましたか?」


と恐る恐る訪ねてきたことを、はっきりと覚えています。 


私はしばらく無言となり、この霊視で見えた光景の状況が、全く把握出来ず、
美沙さんに、


「もう少しお時間下さいね」


と伝え、再度その状況にフォーカスして霊視を始めました。 


しかしビジョンを受け取るほどに、私の心はとても重苦しくなりました。 
目の前に、映し出された光景は、まさに地獄絵そのものでした。 
焼野原?凄く暑い、とにかく暑い・・。異様な暑さを体感覚として感じながら、
やはり、私には何がこの光景の中に起きているのかが把握出来ない状況でした。 


すると、最初に見た3人の親子の姿がズームされるように私の目の前に見えはじめました。

先ほどの男の子らしき子どもが目の前に倒れています。
でも、その男の子は、姿が全く分からないほど全身焼けただれていました。 
すぐそばにいた父親が、よろめきながら、倒れている男の子を抱きかかえます。
でも男の子はもう全く動きません。
父親も声を出すことも出来ないほどによろめき、そして次に女の子のを抱きかかえました。
女の子は、かすかに動いています。
父親は、二人の子を抱きかかえては倒れ、それを何度も繰り返しながらどこかへ向かって行きました。 


次に光景が少し飛んだのか、目の前に川のようなものが見えます。

でも、それは「川」と呼ぶことができないほどに、何という光景なのか、
たくさんの人が浮かんで流されています。先ほどの父親は地面に這うようにして、
川に手を伸ばして行き、次の瞬間、川に落ちたのか、あるいは、自ら飛び込んだのか、
小さな娘と一緒に川の中へと消えていきました。
そして動かない男の子の体だけが地面に横たわったままになっていました。 


その時、私の頭の中に女の子の声が響き渡りました。 


「お母ちゃん、どこにいるの、お母ちゃん会いたいよ、怖いよ、どこにいるの」 


私にはさきほどの女の子の声だとすぐに判りました。 


でも、声? 


この子はもう亡くなっています。それは、亡くなっても、尚、母親を求め続けている彼女の心の叫びです。 


「お母ちゃん、お母ちゃん、どこにいるの、怖いよ、怖いよ、会いたいよ・・。」 


その心の叫びを最後に、私の目の前に浮かんでいた光景は、消えて途切れました。 


私はやっと状況が把握出来ました。
これは、広島へ原爆が投下された時の光景ではないかと。

そして、私は、私が受け取ったこの状況を美沙さんにお話ししました。

この話を聞いた美沙さんも目に涙を浮かべ、
私もあまりにも痛ましい光景に、しばらくお話をすることができなくなってしまいました。 


何故原爆の光景が、こんなにも鮮明に出て来たのかが、
私にはその時には分かりませんでした。

でも、これが、皮膚疾患に何かしらの影響があるであろう事は分かったのですが、
広島の原爆と美沙さんとの繋がりまでは、その時の私にはまだ分かりませんでした。 



なぜなら美沙さんの前世にしては、転生が早すぎるのです。
魂の輪廻転生は平均数百年の間隔があると考えられています、
でも広島への原爆投下からはまだ当時60数年しか経っていません。 


私が見た広島原爆のビジョンが何を意味するのか、

ただ一つ判った事は、美沙さんの皮膚疾患と、私が見たこのビジョンが、
何かしらの関わりがあると言う事だけです。


私は美沙さんに、因果関係まではお伝えする事が出来なかったけれど、美沙さんはこのように言われました。 


「きっとこの広島原爆のビジョンが、私の皮膚疾患に何かしらの影響があるのですね。 
でも、その亡くなった女の子の言葉。私、何故かとても心が苦しく痛みました。」 

ここまでで、予定していたカウンセリングの終了時間となり、
この日はもう1つの相談内容の、仕事でのアメリカ勤務と彼との結婚までのお話が出来ずに終了しました。 


それから数週間ほど経ったある日の朝、いつものようにメールのチェックをしていると
、美沙さんからメールが届いていました。 


その内容は、再度予約を取りたいとの事でこのようなメール内容でした 


「どうしても聞いてもらいたい事があります。メールでは伝えきれないので、お会いしたいのです。この前の広島原爆の件です。宜しくお願いします」 


私は、日にちを調整して、1週間後にもう一度、美沙さんとお会いする事となりました。 

そして、その日、私は彼女からとても不思議な話を聞かされる事となりました。 


「前回のカウンセリングの数日後に、彼が両親に、

私の事を結婚を前提に付き合っている相手として紹介したいということになり、
彼の自宅に招かれました。私はまだ、アメリカ行きをどうするか決めかねていたので、
彼の両親に挨拶して良いものか迷いましたが、
結局、もう段取りが進んでいたようで、彼の自宅に行ってきました。」 


美沙さんは、その日、彼のお母様の手料理などのおもてなしを受け、
ご両親もとても優しくて、安心したとの事でした。


そして、ちょうど食事も済んだ頃、リハビリに出かけていた彼のお祖母様が、帰って来たそうです。
その時は美沙さんとは挨拶を交わした程度で、彼のお祖母様は自分の部屋へと入ったそうです。 


その後ろ姿を見た瞬間、美沙さんは「どこかで逢った事がある?」と感じ、
その後ろ姿を見つめながら無性に懐かしい感覚がして、
胸が一杯の苦しい感覚に襲われ、涙が出そうになったそうです。 

その日の夜は、帰宅してからも彼のお祖母様の後ろ姿を思い出し、
ふと、かすかに、背中におんぶをされた感触を一瞬感じたそうです。 

その後、次の休みの日に、再度彼の家に呼ばれて行ったのですが、
その時は、彼の自宅にはご両親は不在で、お祖母様がリビングでテレビを見ていたそうです。
美沙さんは、お祖母様に挨拶をすると、先日の後ろ姿を見たときに感じた懐かしさが、再びこみあげて来たそうです。 

彼のお祖母様は、美沙さんにお茶を出してくれて、


座りなさいな・・・

と言い、リビングに置いてある、大きな座卓のところに一緒に座り、
彼の小さい頃の話などを話し始めたそうです。 

彼が未熟児で産まれた話、小さい頃は体が弱くて入院を繰り返していた話、

水泳ではいつも大会で優勝していた話、

たくさんの思い出話を、本当に嬉しそうに話してくれました。
美沙さんも、彼の昔を想像しながら楽しく話を聞いていました。 


そして色々な話をしているうちに、彼の祖母は衝撃的な話を始めたのです。 


「初めてあんたを見た時にね、何かね、娘を思い出したんだよ。 
私には、他に息子と娘が居てな、2人とも幼い時に、亡くなってな・・」  

そう言うと、しばらく無言になりました。 


「原爆が落ちてから何十年経ったかね・・。 
あんたは原爆の悲惨さは知らんだろうが、それは地獄だ。 
私は元々広島で小さな娘と息子、そして旦那とで暮らしておってな、
原爆の日は、たまたま姉の出産で東京に手伝いに行っていて、広島に居なかったんだ。
旦那に子供達をあずけて、私が留守にしていた時の地獄の出来事だ。 
そのあとは、もう広島に戻る事は出来なかった。どれだけ戻りたかったか、
どれだけ、娘、息子、そして旦那を心配したか…。
絶対に生きていてくれると信じて、毎日毎日願っていた。
しかしな、その願いは届かんかった。原爆で何もかも失った。子供達も旦那も何もかも。」 


美沙さんは、無言で、その話を聞きながら、
あの私から聞いた霊視の光景、広島原爆の三人の親子の話を重ね合わせていました。 


お祖母様は話を続けます。 


「私はその後、数年してから、姉の薦めで見合いで結婚して、3人の子供をもうけ、
そして、孫にも恵まれた。その孫の一人が大樹だ。大樹もそろそろ結婚かと思うと、私も歳をとったもんだ・・・。 
あの日から、亡くした子供たちの事は1日も忘れた事が無い。 
でも、形見も何も無い、全て失った・・・。 
今はな、どんな顔をしていたのかさえ思い出せん・・・。 
自分の子なのに、顔さえも覚えておらんとはな・・・、写真なんてものも無いし。 
でもな、ぬくもりと抱いた感触だけは忘れていないよ。 
おんぶもいつもしてた。子守唄歌って、いつの間にか背中で寝てしもうた。 
今でもはっきりと覚えている。 
あの娘が成長していたら、あんたみたいになったのか・・・。 
あんたを見て、我が娘を懐かしく思い出したよ。 
こんな話してごめんな。孫を、大樹を宜しくな。」 

と彼の祖母は美沙さんの手を握って来たそうです。 


その瞬間、美沙さんからは、涙が溢れ出て、体中に、
あたたかなぬくもりに抱かれている幼い子の感触がよみがえってきました。 


そして、あの女の子の 


「お母ちゃん、ここにいたんだね、やっと逢えたね、逢いたかった。」

と言う声が聞こえて来ました。 


そして、彼の祖母が、懐かしくて、懐かしくて、「やっと、やっと逢えた・・。」と
心の底から懐かしい感触が湧き上がってくることを抑えることができず、しばらく涙が止まらなかったそうです。 


そんな不思議な体験をして、その話をどうしても私にしたいと訪ねて来てくれたのでした。 


そう、あの女の子は、美沙さん自身、美沙さんの前世の自分自身だったのです。 


再度霊視を行うと、あの時に分からなかった事が全て繋がりました。 



何故、広島の前世が出て来たのか。 

何故転生が早かったのか。 

何故、前世のビジョンで女の子の母親が出てこなかったのか。 


それは、母は、その時に広島に居なかったからだったのです。 


女の子は、母の帰りを待ち、原爆投下に遭い、母に逢いたいと言う気持ちを残しながら 
亡くなって行きました。亡くなった後も、女の子の思念は、母親を求め続けていました。

なので、どうしても母親にもう一度逢いたいというとても強い気持ちで、転生が早かったのです。
そして、婚約者の彼と出会ったのも、偶然では無く、魂の引き寄せでした。
逢いたかった母に逢う為に、そして、今度は孫の嫁としてだけれど、また家族の一員として過ごす為に・・・。 


美沙さんが彼のお祖母様に初めて会った時の懐かしい感覚。 

お祖母様も美沙さんを見ていると、自分の亡くした子を懐かしく思い出す感覚。 

それは、当然です。あの亡くなった娘の魂は、

今、この現世に美沙さんとして、転生してきたのですから。 


母親に再びめぐりあうために・・・。 
してようやく再会出来たのです。 


この話を聞いた1ケ月ほど経ってから、美沙さんからまたメールが来ました。 


「小林さん、本当に、本当にいろいろと有難うございました。
私は、重要な仕事を任せられ、彼との結婚も悩んでいましたが、
こんなに素晴らしい縁で引き寄せられ、前世の母に巡りあったのですから、
この縁を大切に生きて行きたいと思い、彼と共に人生を歩んで行くことにしました。 

そして、彼のお祖母様に、すぐに私達の結婚式とドレス姿を見てほしいので、
日取りも決めました。何とお祖母様は、もうすぐ90歳だそうです。と言う事は前世の私を20前後で産んだのでしょうか。 

何か、前世の私の母が、この時代にまだ生きていてくれていたと言う事がとても不思議な感覚です。そして、彼のお祖母様に出会ってから、何と、苦しんできた皮膚疾患がすっかり治りました、奇跡です。 

あの皮膚疾患は、被爆した私の皮膚の記憶だったのかもしれませんね。あの女の子(私)の、母と離れ離れになった、「魂の傷」だったのだと思えてなりません。なので、母と再会したから、魂の傷も癒えて、皮膚病も治ったのでしょう」                       

私も信じられませんでした。
前世の親が、転生後にまだ生きていて、再会する・・・ 
それほど、母子の絆は強いのです。 

皮膚疾患は前世で母親と離れ離れで被爆したカルマであり、
母と再会出来たことで、カルマが全て浄化され治ったのです。 

彼(今はご主人様ですが)のお祖母様は、美沙さん達の結婚式の1年後に、お亡くなりになられたそうです。
娘と再会できて、魂が安心したのでしょうか。 

そして美沙さんは、仕事よりも、自分自身にとって一番大切なものを見つけました。 


人にとって大切なもの。 

出世して地位を得る事と考える人もいるかもしれません。 

お金があると安心と言う人もいるかもしれません。 

しかし、それらの気持ちは、全て「恐れ」から来ているものです。 

【恐れ】とは、恐怖、不安、悲しみ、苦しみ、嫉妬、妬み、など、あらゆるネガティブな感情の総称です。 

いくら、物質的なものを手に入れたとしても、【恐れ】から解放されることはありません。 

恐れを感じなくするために、物質的なものを手に入れ、

心の埋め合わせをしようと「強化行動」を起こしてしまい、結果、更に自分自身を苦しめる事となります。 

【恐れ】を癒すには、物質では無く、【愛】です。 

【愛】とは、信頼、喜び、感動、慈悲、優しさ、いつくしみなどを総称した言葉です。 


では、【愛】とはどこから生まれるのでしょうか・・ 

「人との縁」から学び感じ取るものです 

美沙さんは、現在二児の母となっています。
嬉しいことに、時々、お子さんと一緒に訪ねて来てくれます。

 

そしてある日、今回の不思議な経験から学んだことを話してくれました。 


「私は、アメリカでの研究開発を任された事で、心の底では「自分を認めてほしい」と言う気持ちがより強くなっていました。
私の母(今世の)は、私が小さい頃から仕事で忙しく、私をあまりかまってはくれなかった。
そして口を開けば、「良い大学に行って、立派な仕事が出来るように、勉強しなさい」と。
私は、いつも、母に褒めて欲しかったんです。

その思いが大人になってもずっと残っていた。なので、今回の研究開発を任せられアメリカの研究所に行く事となったことで、
アメリカで成果を出せば、やっと母に認めてもらえる、と思い込んでいたんだと思います。

 私、本当の自分を見失っていました。

でも、今回の奇跡のような体験をして、気付きました。
何が大切なのか。今は私も二人の子どもの母となりましたが、もし、あの時にアメリカ行きを決めていたら、

私は、いつも母の存在に影響されて、自分らしく生きられなかっただろうと思います。
そんな私がそのまま、子を産み母となったら、我が子に私の母と同じ価値観を押し付けていたかもしれません。

でも、今回の経験を通して、家族の絆や人と人の縁をとても大切に考えるようになりました。
今では、子供たちに、自分の価値観を押し付けることなく、人との縁を大切にするように教える事が出来ています。

まだまだ未熟な私ですが、この経験を子供達にも受け継いでいって欲しいと思っています。」 


「親子連鎖」と言う言葉があります。 

「親子連鎖」とは世代間連鎖の狭義なもので、親の価値観、思考、接し方など、
様々なパターンが子へと受け継がれます。

それらが【愛】(信頼、喜び、感動、慈悲、優しさ、いつくしみ)であれば良いのですが、
【恐れ】(恐怖、不安、悲しみ、苦しみ、嫉妬、妬み)など、ネガティブな感情に基づくものであれば、
健全な家族関係や対人関係を築く事が難しくなります。
私たちが子に伝えることが出来るのは自分が学んだこと、つまり「知っていること」だけです。 

たくさんの【愛】を学び経験する事で、
それが更に我が子にそして孫へと【愛】の世代間連鎖を起こせるように努めて行かなくてはなりません。 

この美沙さんのお話を通して、私達も本当に大切なものは何か、ということを考えていきたいと思います 


スピリチュアルハーモニー・小林由起子
http://www.harmony-mc.com/spiritual/