桃園の…… | こばやし歯科医院 web分院

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東京中野の駅前にあるこばやし歯科医院のBLOGです。
歯医者に関すること、庭で咲いた花のこと、鬘の話etc.etc.
役に立たない話が多いですが、気楽にお読みくださいm(_ _)m。

 

桃園と聞いて、何を思いますか?
三国志の冒頭の<桃園の誓い>あたりを思い浮かべる人も多いと思います。
古くから居る中野区民は、中野駅周辺の地名だと思います。



現在の中野駅周辺の地名は以前は、囲町<かこいちょう>とか桃園<ももぞの>と呼ばれていました。これは、江戸時代の5代将軍徳川綱吉が行った天下の悪法、<生類憐みの令>に起因します。



ご存じのように、生類憐みの令では、人より犬が厚遇されました。
その政策の一環として江戸周囲の野良犬を集め、巨大な囲いを作って犬を飼いました。
予断ですが、この政策はヨーロッパにも伝わり、ガリバー旅行記の元ネタの一つになりました。



そんな次第で、作られた巨大な囲いがあったのが、現在の中野駅周辺です。
このため、<生類憐みの令>が廃止後、この地域は囲町と呼ばれるようになりました。
そして、犬小屋の跡地に桃が沢山植えられました。
そのため、桃園<ももぞの>とも呼ばれるようになったわけです。



もっとも、昭和に行われた町名変更のために、そのあたりの地名は奇麗になくなりました。
小学校など一部に名前が残っているくらいです。



折角桃園と呼ばれていたのですから、さぞや立派な桃の木があるかというと、そんなことはありません。なにせ、中野駅周辺は中央線が通った以降に、散々開発されました。
陸軍中野学校ができたり、丸井ができたり、警察学校に替わったり、区役所ができたり、中野サンプラザや中野ブロードウェイができたわけです。桃の木が残る余地がありません。
少ない緑である街路樹のほとんどは、桜や欅や銀杏に変わってしまいました。



そんな状況を惜しんだ人たちが居たのでしょう。中野駅周辺の街路樹の一部に桃を植樹しました。資料を調べてみると平成9年に最初の植樹が行われたようです。地元の有志の方が手入れをしているようですが、詳しいことはわかりませんでした。



私はその桃が植樹された地域を毎日歩いています。
そして、あることに気づきました。



『桃の実がなっているのに誰もとらない……』



桃栗三年柿八年と言います。上記したように中野駅周辺の桃は、樹齢20年ぐらいになっているはずです。えぇ、だから当然実がなります。





摘花もせず、追肥も与えていないのです。小さな実しかなりません。
大きさは、桃と言うより南高梅を少し大きくした位です。



困ったことに、人と車の流れが多すぎるので、鳥も寄り付きません。
来たとしても雀ぐらいで、桃の実を啄みそうなカラスもヒヨドリも居ないんです。



つまり、落っこちても放置されるわけです。



……あまりにも勿体ない(^^;。



そんなので、桃の木の周囲に落ちている状態のよい実を拾うことにしました。
そのまま食べるのは流石にアレなので、水と重曹でよく洗い、コンポートにしたり、ホワイトリカーで付けてみました。




ともあれ、漬けたお酒が呑めるようになったら、ご報告しますm(_ _)m。