風が冷たくなりましたね。風邪気味ですが熱がありそうなときこそ熱は計らないようにしているのできにしない
昨日は雲ひとつない快晴
ひとりの友人とさよならをしてきた
4年の闘病生活を耐え、ご親族と多くの友人に見守られ安らかな眠りについた
お見舞いに行くと、いつも変わらない笑顔で迎えてくれる彼がいて、いつも決まってわたしが喋り倒してそれをうんうんと聞いてくれていた
わたしの結婚式にも一時退院してふたりで来てくれて、今思えば出席してくれたことも奇跡だった
人が亡くなるということに、この歳になって向き合い、祖母が亡くなったのとはまたすこし違っていて、なんていうんだろううまく言えないけど、若すぎる彼が亡くなったということの実感がわかず、いまだに半分受け入れられていないきがする
ただひとつ言えることは、彼にもう会えないんだと思うと、その事実がただ単純に怖くて、寂しくて、そんなのはいやだとおもって涙があふれる
そして、彼を一番近くで支え続け、彼と一緒に病気と闘ってきた彼の恋人であり、わたしの友人の背中が、普段はわりかし大きく見えるのだが、今日だけは小さく見えた
彼女は、自分も働きながらも、4年間ほぼ毎日病院に通い、彼と、彼の病気と向き合った
「誰だって、同じ立場になったらそうするよ」と彼女はいつも言ってたけど
彼女を近くでみていたら、到底誰にでもできることではないとおもっていた
彼自身はもちろん、彼女の不安や苦しみといったら、計り知れないものだったとおもう。というか当たり前だが事実そうだった
彼の携帯には、彼女へのうちかけの未送信のメールが残っていた
さいごまで、彼は彼女のことを思っていた証拠だった
彼が亡くなった日、彼女はうちにきてベランダで彼を思って空をぼーっと見ていたら、流れ星を見たといった
曇っててそんなに星は出てなかったのに、不思議です
わたしには、彼が必死に、彼女になにかを伝えようとしてるように感じた
ありがとうって言ってんじゃないかなーって、おもう
ドラマみたいだけど、こんなことってあるんだねと
彼女にもちゃんと伝わっているようだった
籍が入ってないだけで、彼女は彼の家族だった
葬儀のさいご、親族が花を彼の周りに添えているとき、一緒にさせてもらいなよと彼女の背中を押した
誰よりも彼の近くにずっといた彼女が、さいごだけ近くにいられないのはみていられなかった
でも彼女は、いいんだとわたしを制して早めに外に出た
彼と彼女の間には、形式張ったものには現れない、わたしたちには分かり得ない絆があって、だから、親族だとかそうでないとかは関係ないのだった
彼女はみんなの前では、いつもと変わらない笑顔でいて
涙もあまり見せない彼女は、はたからみたら強くみえるかもしれない
でも誰よりも辛くて泣きたいのは、彼女に違いないのであって。
昔、わたしも「さやかは強いね。わたしは弱いんだ。」と言われて、とても傷ついたことがあった。しかもまさに傷つけられた張本人に言われて、さいごにまた心をズタボロに引き裂かれた記憶がある
強くみえるって損だ。わたしだってもともと強いわけじゃないのに、と思った
人間不振になりながらも本当の仲間に支えてもらって、起き上がれないくらい辛いことも泣きながら必死で乗り越えて、乗り越えられたときに少しだけ強くなれちゃってるかもしれないだけだ
彼女も、そうだとおもうのです
何が言いたいかっていうと、強くみえるひとを「強いね」の一言で片付けてあげてほしくないってこと、です
ふたりのことをここで書くのはどうなのかと迷ったけど
ふたりのとんでもない頑張りを、ほんとわたしの自己満足なんだけど、なんとなく、一人でも多くのひとに知ってほしくて書きました
こんなふたりがいたんだよっていう事実を、少しでも濃く残しておきたいとおもいました
愛する人に感謝を伝えることの大切さを、わたしは改めて彼らに教わったきがします
そして心から、病気と闘い続けたふたりにお疲れ様でしたと言いたいです
ありがとうという彼の彼女への強い思いを、真っ青な空にもみたきがした(彼は最強の晴れ男だった)
口下手で不器用すぎた彼が、さいごのさいごにまっすぐ、素直に彼女に伝えてくれているようで嬉しかった
彼女のこれからの幸せを、
空で見ていてくれる彼とともにわたしも心から願っています