以下、横山さんの言葉で印象に残ったもの(ほとんどだけど)。
箇条書きで記録。
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町から見た津波は、真っ黒の壁だった。
津波が到達するまでの一時間の間に、消防隊として救助に向かう。
一番最初に津波の中へ身を落とした。
身体にロープをくくりつけて、津波が向かってくるところに入った。
家屋、冷蔵庫、人が、津波の渦の中で一緒に舞って押し寄せてきた。
津波の中に入った瞬間は、「自分ももしかしたら流れるかな」という不安が一瞬よぎった。
しかし、強い気持ちで救助を続行。
引き潮の時、3歳ぐらいのこどもの手が津波の間から見えた。
一旦はつかめたが、引き潮の力で持って行かれてしまった。
押し波の時は、自分より大きな男性でも引き揚げ、
何人も何人も救助したのに、引き潮の力に勝てず、小さな手を離してしまったことは、
一生悔やみ続けるできごと。
16時半の時点で、救助活動が打ち切りになる。
いつ津波がきてもおかしくない状況だったのもあり、今後の救助活動に支障のないよう、救助活動がを打ち切り災害対策本部で待機。
真っ暗になった沿岸部で、「おーい誰か助けてくれー」という声があちらこちらから聞こえる。
横山さんたちは「声が聞こえる。生存者あり。今行けば助けられる」と訴えたが、
長に「真っ暗で足場のまったくわからない場所で救助に向かわせることはできない」と頭を下げられ、何もできず夜が明けるのを待った。
朝、太陽があがるのを待って出動。
津波の現場は、50センチのヘドロがたまっている状態。
30センチ進むのにものすごく体力と時間を要した。
夜中に助けを求めいた方々は、ほとんどが凍死していた。
遺体の写真を何枚か見せていただいた。
津波にのまれずなんとか家の中にとどまったものの、救助がこず、灯りも暖もない夜を過ごし、階段に寄りかかって凍死していたおじいちゃん。
ヘドロから手だけ出ている旦那さんを掘り起こそうと、泣きながらヘドロをかいている女性。
お腹の部分が全部えぐれた牛。(みせていただいた写真は背中から撮ったものでした)
五体満足の遺体はなく、スクリュー傷のある遺体がほとんど。
その遺体を一刻も早く冷たい海から引きあげてブルーシートをかぶせ、暖かい所に運び、ご家族のもとに返したいという一心で捜索をおこなった。
捜索は、震災後から8月まで行った。
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これが、震災当時、横山さんの行った救助活動です。
壮絶という言葉が軽々しく感じるほどの状況だったでしょう。
階段で凍死されていたおじいちゃんのご家族の方は、「この写真が何かのお役に立てるなら、おじいちゃんの死も無意味なものではなかったと思える」と公開を了承してくださったそうです。
それでもきっと、「なぜこんな形で亡くならなければならなかったのか」という思いは一生ぬぐえないかもしれません。
横山さんの、亡くなった一人一人の命に寄り添う姿、
大切な人を失くした一人一人に寄り添う姿。
本当に本当に、心から尊敬と感謝の気持ちでいっぱいになりました。