311 | こばてぃのブログ

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311以降記録用*****人に迷惑かけてもいいけど地球に迷惑かけるながモットー*****「不信よりも、信頼を」「批判よりも、提案を」「妨害よりも、協力を」「無関心よりも、関心を」「一時よりも、継続を」を心がけながら、今を生きています

昨日あの時間、私は公園にいた。

長女の幼稚園でお遊戯会があり、そのあと母と子で公園に流れ遊んでいた。

幼稚園の子供たちとブランコで遊んでいたとき、ひどいめまいに襲われた気がした。

「やばい」と思ったら、目の前を他のママ達が深刻な顔で猛ダッシュしているのが見えた。

(あれ、何?)

子供の背中を押すのをとめて、初めてわかった。

めまいじゃなくて地面ごと揺れてる。

私が背中を押していた子は気づいたが、

自分で思いっきりブランコをこいでいる他の3人は、

まったく気がつかず楽しそうにこいでいたので、

すぐにブランコから降ろしてみんなでしゃがんだ。

自分の子はグラウンドの方でみんなとしゃがんでいるのが見えた。

結構揺れは長かった。

でも「怖いねー」なんて言いながらも、また遊び始めた。

すぐに再び揺れが来て、さすがに小学生の子を持つ母達は、

「上の子が心配」と携帯を取り出したり、足早に帰っていったりした。



金曜日は15時から長女と長男が体操クラブをやっていて、

いつもスポーツセンター(体育館)でやるのが、たまたま昨日は予約がとれず、

ちょうどその公園に隣接するグラウンドででやることになっていた。


先生や体操クラブの子供達が集まりだし、

「怖いねー」なんて言いながらも準備して体操を始めた。


体操中も数回揺れた。

グラウンドの大きなライトがぐらんぐらん揺れていて、

外にいるときにこれほどの揺れを感じたのは初めてではないかと思った。


その日は結構な寒さで、体を動かさずただしゃべっていた母たちは冷え切っていて、

「早く帰ってお風呂に入りたい」なんて言いながら、

「でもお風呂に入っているときに揺れたら怖いね」

「実家はお風呂場の棚に避難用のバスローブが置いてあるよ」

「え~!すごーい!準備良い~!」

なんて、のんきに話していた。


途中で夫からメールが入ったがなかなか返信できない。

東北が震源地らしいと誰かが言っていて、福島郡山に姑がいるので、

「おかあさんと連絡とれた?」と聞いてみたが、

「つながらない」との返信。

東京でこれだけ電波状況が悪いんだから、仕方がないかな、と思った。

体操クラブにもパパの実家が仙台で連絡がつかない、と言っている人もいて、

「心配だねー」なんて言ってたけど、「大丈夫だろうけど早く連絡ついて安心したい」という程度のものだった。



そしてなんだかんだ良いながら体操も無事に終わり、帰宅。

いつもはテレビなんてつけないが、やはり気になるのでつけてみた。



信じられない光景が映っていた。


ほんの数分つけていただけだが、巨額のお金をかけた超大作の映画を観た後の何倍もの衝撃が、

いや、比較にならないほどの衝撃が私を襲った。


「とにかくお風呂に入ろう!」と子供達とお風呂に入ったが、

お風呂に入っているときもなんだかフワフワしていて、

何かをしっかり考えているわけでもなく、自分がそこにいないような感じだった。

呆然という言葉はあの時の状態に近いのではないかと思う。


夫も帰宅したが、郡山とは連絡がつかないまま。

夫の妹から、「19時前くらいに一度義母との携帯がつながったが、

返答ないまま切れた」とのメールがきた。


娘の幼稚園最後のお遊戯会での感動は、一気に吹き飛び、

なにがなんだかよくわからないまま夕飯を食べ、またテレビをつけた。



阪神大震災がフラッシュバックしていた。

当時高校生だった私は当時中学生だった妹と、

制服のまま抱き合うようにしてテレビを見ていた。

おしっこも我慢してテレビにかじりついていた。

記憶ではわりと早い段階で、死者の情報が次々と流れていたと思う。

目を皿のようにして死者の名前を追っていた。

仕事に出かけていた母を「なんて非情なんだ」と責めながら。





子供達はいつもと違う私の行動に一様に不安を感じたのか、ぐずりはじめた。

でもテレビを消すことはできなかった。