三回忌前日の話



弟の子どもの発表会の日。

伯父(父の兄)が前泊する日。


娘は朝から部活で、普段の朝練よりも早く行く必要があった。

公共機関の時刻表をアプリで確認すると、集合時間に間に合うように行くには前日の夜に出発しなければならないという結果(平日なら早朝のダイヤがあったが土曜休日ダイヤは運行していなかった)だったため

朝からお弁当を作り、薄暗い中(いや、ほぼ暗かった)車で送った。

その帰り、事故渋滞に巻き込まれ、家に戻れたのは予定より1時間遅かった。


家の中をバタバタ片付けていると、母から連絡があり

《今日は何時に行くの?まだかな?》

と聞かれた。


弟の子どもの発表会のことを言っていることは明らかだが、特に私は誘われてはいない(僻んでいるわけではないです)。

コロナ禍が明けてきたとはいえ、どの範囲の関係者が見に行って良いのかもわからない。

ましてやその時、娘の近隣の高校(全校生徒1000人超)ではインフルエンザにより学校閉鎖になっていたし、娘の学校でも《あと1人で学級閉鎖》というクラスも多々あり、卒業式を控えて三年生は登校していないものの注意喚起が出ていた。


母は退院後、仕事に復帰はしていたがさまざまな面で配慮を受けていて、車の運転も支障はない程度ではあったができればしたくない状態だった。


弟たちが母を誘ったのであれば、当日の送迎などをしてくれると思っていたので、母からの連絡は正直呆れた。


弟たちは私以上に医療の現場に近い仕事をしているが、母の状態については気にしていないようだった。

この2年間、仕事柄、父と同じ疾病の方は何人もみた。

大半の方が亡くなった。


《前立腺がんは予後が良い》とは言われているが、それはステージが低い場合の割合が他のがんに比べて高いことと、進行が遅い場合が多いからだろう。


父がお世話になった病院に対して

・あそこはなにもしてくれない

・あそこに行ったらもう終わり

・◯◯医院(3次救急にあたる地域の診療所やクリニック)の方が良くしてくれる

・あそこで治った人なんて聞いたことない

と言う人は多い。


3次救急の医院では手術もないだろうし、初期ステージでのがんに対してビカルタミド(カソデックス)の投与で何年も通院している方も多いだろう。


手術症例が多く、術後は地域医に逆紹介が多い2次救急・3次救急は《手術したらおわり》なのだから、《手術した=完治》と思う人なら『あの病院はいい病院』なのだろう。

もちろん、手術適応外であれば受け入れはしないのだから。


言い方を変えれば

《あそこに行ったらもう終わり》⇨最後まで診てくれた

《あそこはなにもしてくれない》⇨何もできることがなくても病状を診て話を聞いてくれる

《治った人なんていない》⇨ラストステージの患者でも受け入れ拒否をしない

と言うことではないだろうか。



また、内服を自己制限する方も多い。

医師が処方した用量を守らず、隔日でしか飲まなかったり、半量にしたりする。

そして、それを医師には言わない。

大抵の場合、薬局で判明する。


パターン①

今回薬が増えています。

⇨前の薬いっぱい余ってるんだよね

飲み忘れしてしまいますか?

⇨効かなくなったらおしまいだから少しずつ飲んでるから


パターン②

今回薬が変わりました。耐性ができてしまったんでしょうか?

⇨あんな薬怖いから飲んでないよ


どちらの場合も、患者さんは怒りっぽいと言うかせっかちな印象の方が多い。


治療の選択肢がまだあるのに、何故放棄するようなことをしているのか。

医療(医師・薬剤)を信用していないのに、何故病院にかかり続けるのか。


がんが発覚した時に初期ステージで、その後数年経って転移などが判明した方の方がこの傾向は強いと思う。


父が外来でつぶやいたことがある。

【怖いから怒るんだろ】

【怖いから人のせいにしたいんだろ】


父は60代で亡くなったが、父より高齢の方ばかり。


その話が漏れると必ず言われてきたのが

《抗がん剤なんてやるからだ》

《あそこに行ったらおしまいなんだから》



生き方は選べる。

その状況に自分が置かれた時、いつどこで何を選択するか。

方向転換はできる時もあるが、リセットは出来ない。


がんができてしまったことは悔やんでも仕方がない。

がんが見つかって治療できるものならば、治せるうちに見つかってよかった、と思って欲しい。

治療できないがんだったら…どうしたらいいのか今から考えるよりも、何もできないのであればその時に感じたことをすればいい。その時の価値観は今とは異なるだろうから。


三回忌から話がそれたままですが

母の闘病について、父のように記録することはありません。


幸か不幸か、入院中のコンサルと他科受診で《即手術》とはならなかったことと(しかし、指定難病受給者証は発行されました)、入院中のリハビリでそれなりの効果が得られたので今は特に変わらない日常を過ごせています。


もちろん、退院した際は

・下を向くこと厳禁

⇨顔を洗うのも食事も、出来る限り下を向くな

・ものを持つな

⇨洗濯も買い物もダメ

といった生活だったので

あまり生活にこだわらない父とは違い、自分のやり方でやって欲しい母とはお互いにかなりのストレスとなりました。


そのこともあってなのか、母からは

[私は施設を探してもらおうかな]

といった発言がありました(あくまでも自分では決めないらしい)


三回忌に間に合うように退院してきたこともあり

それなりにやらなければならないことはありましたが、よく言えば[これで良いか]と力を抜くところは抜いて準備しました。


そんな状況でもあったので、1️⃣のような態度だった弟には私からの苛立ちは倍増。

心配したものが稀有となり安心したものの、よくわからない感情を持て余した娘の矛先も弟へと向かってしまったわけです。


そして、カタチとして弟は法事で挨拶をしたのですが

【父はこのような集まりを望んでいなかったと思いますが】

と切り出しました。


人付き合いは良くはなかった父です。

冠婚葬祭の場も苦手でした。


しかし、私の主人の父が亡くなった際は、当日、通夜、葬儀と片道3時間の距離を運転してきてくれました。

義理はある人です。


そしてなにより、寂しいことが嫌な人でした。

弱虫とは違いますが、寂しいと言えない人、でした。