この2年間、仕事柄、父と同じ疾病の方は何人もみた。

大半の方が亡くなった。


《前立腺がんは予後が良い》とは言われているが、それはステージが低い場合の割合が他のがんに比べて高いことと、進行が遅い場合が多いからだろう。


父がお世話になった病院に対して

・あそこはなにもしてくれない

・あそこに行ったらもう終わり

・◯◯医院(3次救急にあたる地域の診療所やクリニック)の方が良くしてくれる

・あそこで治った人なんて聞いたことない

と言う人は多い。


3次救急の医院では手術もないだろうし、初期ステージでのがんに対してビカルタミド(カソデックス)の投与で何年も通院している方も多いだろう。


手術症例が多く、術後は地域医に逆紹介が多い2次救急・3次救急は《手術したらおわり》なのだから、《手術した=完治》と思う人なら『あの病院はいい病院』なのだろう。

もちろん、手術適応外であれば受け入れはしないのだから。


言い方を変えれば

《あそこに行ったらもう終わり》⇨最後まで診てくれた

《あそこはなにもしてくれない》⇨何もできることがなくても病状を診て話を聞いてくれる

《治った人なんていない》⇨ラストステージの患者でも受け入れ拒否をしない

と言うことではないだろうか。



また、内服を自己制限する方も多い。

医師が処方した用量を守らず、隔日でしか飲まなかったり、半量にしたりする。

そして、それを医師には言わない。

大抵の場合、薬局で判明する。


パターン①

今回薬が増えています。

⇨前の薬いっぱい余ってるんだよね

飲み忘れしてしまいますか?

⇨効かなくなったらおしまいだから少しずつ飲んでるから


パターン②

今回薬が変わりました。耐性ができてしまったんでしょうか?

⇨あんな薬怖いから飲んでないよ


どちらの場合も、患者さんは怒りっぽいと言うかせっかちな印象の方が多い。


治療の選択肢がまだあるのに、何故放棄するようなことをしているのか。

医療(医師・薬剤)を信用していないのに、何故病院にかかり続けるのか。


がんが発覚した時に初期ステージで、その後数年経って転移などが判明した方の方がこの傾向は強いと思う。


父が外来でつぶやいたことがある。

【怖いから怒るんだろ】

【怖いから人のせいにしたいんだろ】


父は60代で亡くなったが、父より高齢の方ばかり。


その話が漏れると必ず言われてきたのが

《抗がん剤なんてやるからだ》

《あそこに行ったらおしまいなんだから》



生き方は選べる。

その状況に自分が置かれた時、いつどこで何を選択するか。

方向転換はできる時もあるが、リセットは出来ない。


がんができてしまったことは悔やんでも仕方がない。

がんが見つかって治療できるものならば、治せるうちに見つかってよかった、と思って欲しい。

治療できないがんだったら…どうしたらいいのか今から考えるよりも、何もできないのであればその時に感じたことをすればいい。その時の価値観は今とは異なるだろうから。


三回忌から話がそれたままですが

母の闘病について、父のように記録することはありません。


幸か不幸か、入院中のコンサルと他科受診で《即手術》とはならなかったことと(しかし、指定難病受給者証は発行されました)、入院中のリハビリでそれなりの効果が得られたので今は特に変わらない日常を過ごせています。


もちろん、退院した際は

・下を向くこと厳禁

⇨顔を洗うのも食事も、出来る限り下を向くな

・ものを持つな

⇨洗濯も買い物もダメ

といった生活だったので

あまり生活にこだわらない父とは違い、自分のやり方でやって欲しい母とはお互いにかなりのストレスとなりました。


そのこともあってなのか、母からは

[私は施設を探してもらおうかな]

といった発言がありました(あくまでも自分では決めないらしい)


三回忌に間に合うように退院してきたこともあり

それなりにやらなければならないことはありましたが、よく言えば[これで良いか]と力を抜くところは抜いて準備しました。


そんな状況でもあったので、1️⃣のような態度だった弟には私からの苛立ちは倍増。

心配したものが稀有となり安心したものの、よくわからない感情を持て余した娘の矛先も弟へと向かってしまったわけです。


そして、カタチとして弟は法事で挨拶をしたのですが

【父はこのような集まりを望んでいなかったと思いますが】

と切り出しました。


人付き合いは良くはなかった父です。

冠婚葬祭の場も苦手でした。


しかし、私の主人の父が亡くなった際は、当日、通夜、葬儀と片道3時間の距離を運転してきてくれました。

義理はある人です。


そしてなにより、寂しいことが嫌な人でした。

弱虫とは違いますが、寂しいと言えない人、でした。

病院で医師に言われたことは

・なんで救急車を呼ばなかった?

⇨知らなかった

・親の様子を見てないのか?

⇨毎日家には行くが、お互い仕事で顔を合わせることは少ない

・階段から落ちた時、家にいたんだよね?

⇨私は帰宅した後のことだと思う(その日に落ちたのではなく、数日前に落ちたと説明はされた後だったので)

・お母さんは、落ちた時に1人ではなかったと言っているが、他に家族は?

⇨同居者はいません


ここで発覚したことは

確かに母は蝋燭の日を見に行って落ちたのだが、その部屋には甥がいた。

弟は、甥をその日預けて(泊まり)帰った。

階段から落ちたあと母は弟に連絡し、背中が痛いからこの状態では甥を預かれないと言った。

弟は甥を迎えに来て連れて帰った。


つまり

弟は母が階段から落ちたことを知っていた。


当然、医師からは

・連絡先、家族としてあなたの名前と連絡先が記載されているが、弟とは連絡はとれるか?

その確認が入る。


弟に連絡はつかず、そのまま私が話を聞いて手続きをすることになったのだが…


そこから6週間ほど母は入院することになった。

(予定では2ヶ月の入院ののち転院だった)


怪我の功名とでも言うべきなのか。

レントゲン以外の検査もしたところ

頸に今回の転落とは別の損傷が見つかった。


転落の打撲などはベット上の安静(そもそもでその時は屈むこともできなくなっていた)で経過観察。


入院中、その総合病院では対応出来ないとされた整形外科の指定難病領域の加療について私は頭を悩ませることになった。