金沢にある国立工芸館にて開催中の

「水のいろ、水のかたち展」へ。




国立工芸館の建物は、

明治期に建てられた国登録有形文化財の旧陸軍司令部庁舎(左、現在の展示棟)と、

旧陸軍金沢偕行社(右、現在の管理棟)を移築、修復して活用されているそう。

その歴史、その風格。

建物に入る前から、既に“美”は始まっていました。


今回の展覧会は、

私たちの身近にある「水」をテーマに、工芸・デザイン作品に表現された水や、水を入れる器の形に注目して、国立工芸館の所蔵品を中心に展示されています。所蔵品展ではありますが、その幅の広さ、奥深さ、そして新しさに、何度も揺さぶられました。


展示構成は、3章立てで、

第1章は展覧会タイトルでもある

「水のいろ、水のかたち」


まずはじめに展示されているのが…



イタリアの陶芸の街ファエンツァを拠点に活動する陶芸家 平井智氏の《波》


ざぶんとダイナミックにうねる波には、

小さな金色の星が無数に散りばめられています。

まるで星さえも飲み込んでしまいそうな激しい波にも、夜空に浮かぶ天の川の濁流にも見えてきて、

ごうごうと、水の音が聞こえてくるような。

オブジェにも見えますが、下の部分は5つの器が重ねられていて、使おうと思えば、お茶席でお菓子を入れる器にもなるとかならないとか。

茶室に持ってくるまでが大変そうですが、

サプライズ感は凄そうですおねがい



展覧会ポスターにも使われている

深見陶治氏の《初めての航海》

青白磁の大きく深く波打つフォルムは、

型に半磁土を押し付けて作られたそう。

型とは思えない、型破り感、果てしなさ。

《初めての航海》に出る高揚感が伝わってきて、

自分が芝居を始めた頃の瑞々しい気持ちが、瞬時に蘇りました。

本作を制作した20年後、深見氏はインタビューで

「作品の端は終わりではなく、ずっとその先も続いているもの」と答えているのですが、

この言葉もまた、「台詞の前後、シーンの前後、何をしていたか、何を思っていたかをもっと考えなさい」と過去に芝居の先生から指摘されたことを思い出しました。

自分への反射が半端ない作品だったなぁ…




生野祥雲斎 竹華器 《怒濤》

怒濤とは、荒れ狂う大波のこと。

幅の異なる多くの竹ヒゴを用いて、激しくうねる波の様子を表したこの作品。

中に何かを入れることを拒否し、見るものを圧倒する力強さがそこにはありました。




木村芳郎 《碧釉漣文器》

見た瞬間に、ハッとするほど美しく、吸い込まれるような深い青のグラデーション。

木村氏は、自分の陶表現を見つけるために、世界を旅して、エーゲ海やサハラ砂漠の海と空の鮮やかな青に魅了されたそう。

「木村ブルー」と呼ばれる、木村氏にしか出せない深い青色は、果てしない宇宙までをも感じさせ、いつまでも見つめていたくなるほどでした。

自分だけにしか出せない色…

それは、一度見たら忘れられない色なのかもしれません。今もはっきりと、脳裏に焼きついています。

この木村ブルーは、ぜひ実物を、見てほしいです。




山下義人

漆絵蒟醤硯箱 《水温む》


水温む、は春の季語。

冷たかった川の水が少しずつなま温かくなり、

春の訪れを感じるように小鳥が二羽。

この鳥、顔はシジュウカラのようですが胴体は違うので、何の鳥か分からないのですが。

同じ方向を見ているのが、なんとも愛らしく、

さらさら流れる川のせせらぎが聞こえてくるようでした。


まだまだ素晴らしい作品はあるのですが、

それは見てのお楽しみということで。


第2章へ。

「水のうつわ」

両手のひらを丸めても、

掬える水は限られている。

形なき水は、すぐにこぼれてしまう。


太古の昔から、人は水のうつわを作り、

生活のための水を留めておきました。


第2章の作品たちは、一番身近にあったものかもしれません。

それゆえの親近感と、器としての面白さに溢れていました。



淡島雅吉 《しづくガラスと氷入れ》

しずくガラスという名前は、氷を入れた際に梨地のような表面と乱反射して美しく輝くことから名付けたそう。

「しづくガラス」、その名の響きと、トロンとしたまるみに、乙女ゴコロをくすぐられ、いつか手元に…!と夢見ましたが、現在はこれを製作する工場が閉鎖され、幻のグラスとなってしまったとか。

どなたか、復刻を…

と願うのは私だけじゃないはず。

しばらく愛でて、何を入れて飲もうか夢想しました。ビールの琥珀の輝きが美しいのでは…!



写真が小さくて見にくいのですが(なので拡大してね)

この2点は、水滴。文房具のひとつで、墨を磨るための水を蓄え、硯に注ぐための容器です。

左は、富本憲吉 《染付家形水滴》

右は、桂盛行 《鶉四分一打出水滴》↓


手のひらサイズの、鶉!!

銅に銀を4分の1混ぜた合金(だから四分一)が用いられて、成形が難しい中での、この愛らしいフォルムに静かな凄みさえ感じてしまいます。

フォルムだけではなく、金も用いた細かい装飾技法も相まって、独特の存在感を放っていました。

肝心の水は、嘴から出るそう。

もう可愛すぎて、書くことに集中できなそう。

無闇に水を垂らしそう。



池田晃将 《電光無量無辺大棗》

緻密な数字の洪水が見えるでしょうか。

(拡大してね)

池田氏は、螺鈿にレーザーカットの技術を取り入れることで、一般的な貝の厚み0.2ミリのところを、0.08ミリほどの厚さの模様を生み出し、制作に使用されているそう。

でも機械を使うのは螺鈿をカットするまで。

心臓の鼓動の震えも許されないような小さな世界の中で、池田氏自ら、手で、一つ一つの数字を貼っていきます。

そうして構築された別世界は、サイバー空間のようであり、現代の情報化社会を表しているかのよう。

またこれが、茶道で使うお棗(薄茶を入れる容器)であることに驚きます。伝統と革新。

こんなお棗に取り合わせるお茶碗や水指、茶杓は、

さてどうしよう。

と妄想が膨らみます。


第3章

水とともに


最終章は、直接的な表現のない「水」の展示です。

1章2章で培われた、水への感受性が高まってきたところでおねがい

水に感する場面を想像したり、モチーフから水を連想したりする愉しさに溢れていました。


この章のはじまりは…


人形!


大島和代《夏の雨》

今まで公園で遊んでいたら、急に夕立が。

さあ大変。

ぬいぐるみを小脇に抱え、裸足で急いで走り始めた様子が伝わってきます。

生暖かい風をはらんだスカート、

ちょっと不安そうな表情。

銀色に光る雨粒が見えてくるようです。




芹川英子 《潮騒》

はぁ、なんて気持ちよさそうな。

お気に入りの赤い紅を塗って、潮騒を聴きながら、

恋人を待っているのでしょうか。

小指がちょこんと立っているのも愛らしく、

小さな胸の高鳴りを感じます。


最後に忘れられない一枚を。




永井一正 《Save Nature》

エイのこの表情!

いつまでも、こんな表情で悠々と魚たちが海を泳げる環境を、考え、行動していきたいなって思いました。海を守ることを声高に叫ぶのではなく、表情一つで伝える軽やかさも素敵だなぁと。



鑑賞を終えて、2階ラウンジの、うさ耳イスに座りながら

(もっと座りやすい椅子もあります)

作家たちが挑戦した、形なき水のかたち、色なき水のいろに、想いを馳せました。

深い青や、限りなく透明に近いブルー。

静けさと、力強さと。

生きていく上で水は必要不可欠だけれど、

時には人間を飲み込んでいく、生活を脅かす、

怖い存在でもある。


水とともに生きていくことを涼やかに問われたようで、でもその問いは今すぐに答えが出せるものではなく。


ラウンジから見える美しい緑を眺めていたら、

ゆっくりと濾過するように、

綺麗な水滴がぽたりぽたりと、

心の中に広がっていくようでした。



外に出たら晴れていて、

隅々まで美しくて。


自然をより一層尊く感じた、夏の午後でした。


「水のいろ、水のかたち展」

2023年9月24日まで開催中です。

暑い夏に、涼を求めて、ぜひ。