コロナが出てくる小説を、進んで読みたいと今まで思っていなかった。


現実の、連日の、コロナ関連のニュース。

人に会えば、天気の話題ばりに、ワクチンを打った、打たないの会話。


デルタ株に恐怖を覚えたばかりなのに、東京株に、ミュー株。その名は、ゴジラやミュータントを連想させ(私だけ?)どれだけ新種が登場すれば終わりになるのだろうと気が遠くなる。


だから、小説の中だけでは、せめて現実を忘れてコロナのない世界のものを読みたかった。

だけどどうしても気になってしまった。

「アンソーシャルディスタンス」というタイトルが。




鬱で引きこもりの彼を抱え、現実から逃れたいためにストロングゼロ沼(つまりアル中)に溺れる主人公ミナの物語、その名も「ストロングゼロ」から始まる五つの短編集。


11歳年下の職場の後輩と付き合うことになり、自分の容姿が急に気になり始め、プチ整形沼に溺れる35歳の愛菜が主人公の「デバッガー」


コスメオタクの茜音が夫で満たされないものを不倫相手に求めるものの、相手の男の精神状態に翻弄される「コンスキエンティア」


生きる希望だったライブがコロナで中止になり、恋人と心中の旅に出る表題作「アンソーシャルディスタンス」


持病があるため、コロナが過剰に気になり、相性ぴったりだった彼と、どんどん歯車が噛み合わなくなり、孤独を深め暴走してゆく「テクノブレイク」


最初の3篇はコロナ前に、「アンソーシャルディスタンス」と「テクノブレイク」の2篇はコロナ禍で書かれた物語だ。


この2篇を読みながら、去年のコロナ禍の記憶が蘇る。

「完璧に除菌できる手の洗い方動画」や、

ロックダウンが現実味を帯びてきたあの頃のことを。


「コロナが落ち着いたら会おうね」と言い合った友人たちのことを。


去年は、「ワクチンさえできればね、そしたらまた以前のように会えるよね」とワクチンができれば全て解決するくらいに思っていた。

2回打っても、重症化はしにくくても感染するかもしれないなんて、去年の今頃は1ミリも予想していなかった(私は)。

去年のロックダウン中にNetflixで観た、まるで予言の書のように感じた映画「コンテイジョン」も、ワクチンを皆が打てるようになり、世の中が落ち着いてゆく場面で終わっていた。




あの映画に続きがあるとは、ウィルスが変異するなんて、全く描かれていなかった。



「アンソーシャルディスタンス」の主人公、沙南は10代の頃から希死念慮がある。常に死にたいと願い、リストカットを繰り返していた。

恋人との間にできた子供を中絶した時から再び自殺願望が膨らみ、更にコロナで好きだったバンドのライブが中止になったことで、一本の糸で何とか保ってきたものが、完全に切れてしまったような気持ちになる。


そんな沙南が、


「コロナみたいな天下無双の人間になりたい」と言う。


「何があっても死ぬことなんか考えないようなガサツで図太いコロナみたいな奴になって、ワクチンで絶滅させられたい。」と。


この言葉が、じわじわとボディブロウのように効いてくる。

コロナをこんな風に捉えるという手があったのか、と。


コロナ文学を読むのはまだ先にしたいと個人的には思っていたのだけれど、コロナ禍だからこそ、コロナ文学を読んで現実に立ち向かっていきたい、と今は強く思う。



それにしても5篇の主人公の女性たちの、

怒涛のエネルギーが凄い。

彼女たちに触れて、強烈な充電をしてしまったように、

読み終わった今、私の体内はエネルギーが充満している。

そっちが変異するなら、こっちも変異してやると。そんな気分だ。