まだ10歳の頃、一人で留守番をしていたら、
ピンポン、と鳴った。
その頃住んでいたマンションは、オートロックではなくて、誰が来たかわからないまま、私は勢いよく玄関のドアを開けた。
そこに立っていたのは、宅配便のお兄さんだった。荷物を受け取ろうとしたら、お兄さんは荷物をその場に置いて、
「ひとり?お留守番?」と聞いた。
「はい」
「いくつ?」
「10歳」
「細いね」
「バレエを習ってるの」
「ちょっと抱っこしていい?」
気づいたら、抱っこをされていた。
「わあ、軽いねえ」
抱っこされた瞬間から、なんだか嫌だなぁ、早くこのお兄さん帰らないかなあと思いながら、
それでも何も言えなかった。
やっとその人が帰って、部屋に戻ってから、
しばらく私はうずくまっていた。
不快感だけが、ずしりと残っていた。

母が帰ってきたからも、その日のことをすぐには言い出せず、でも鍵っ子だった私はまたすぐにお留守番の昼間が来ることが分かっていたので、
何気ない風を装って母に伝えた。
今日、宅急便のお兄さんにね、抱っこされたりして、なかなか帰ってもらえなかったんだ、と。

母は瞬時に100パーセント理解してくれて、
「もう、ピンポンが鳴っても出なくていい」と、びしっと言った。
その時思ったことは、
やっぱり抱っこまでするのは、おかしいことなんだ、嫌だと思った私は間違っていなかったんだ、ということだ。

あの時、母から
「一人でお留守番して寂しいのかなと思って、
可愛がってくれただけじゃない?」
とか、
「抱っこは嫌です、とはっきり言えばよかったじゃない」
などと言われたら、その後同じようなことが起きても、母に訴えることは諦めただろう。
嫌な思いをしたのは断らない自分が悪いのだと、
自責の念が生まれただろう。

すぐに分かってくれた母に、
どれだけ私の心は救われたか。
それがどんなに大切なことだったか。


島本理生さんの「ファーストラヴ」を読んでいたら、この時の記憶が疼くように思い出された。

 父親を刺殺した容疑で逮捕された女子大生、聖山環菜。彼女は、「動機はそちらで見つけてください」と、挑発的なことを言ったという。臨床心理士の真壁由紀はこの事件に関するノンフィクションの執筆を依頼され、被告の弁護人となった義弟とともに、環菜や周辺の人々への面談を重ねていく。

心の中では叫んでいても、
声を大にして言えないことは沢山ある。
気持ちは渦巻いていても、
どう言葉にすべきか分からない時もある。

言葉になるまでの距離が、どれだけ果てしなくても。
それを一つ一つ掬い取り、じっと耳を傾けてくれる存在がいることの心強さ。

「ファーストラヴ」というタイトルから、
王道のラブストーリーを想像していたが、
いい意味で裏切られた。

ラスト数ページは、後光が射したように神々しくて、ずっと泣いていた。
あの時、母に救われたように、
もう一度、この物語に救われた。