お茶の先生にお借りした、井上靖著「本覚坊遺文」
利休の弟子であった、本覚坊の手記の形で、師利休の自刃の謎に迫る。
秀吉はなぜ、利休に切腹を命じたか、利休はなぜ、申し開きをしないまま、それに応じたのか。
最近、その謎を自分なりに考えていて、それに迫る小説を何冊か読んでいるのですが、
「本覚坊遺文」が放つ、お茶の世界観は、まるで異界のようでいて、すぐ傍にあるような。
そしてようやく、利休が切腹に応じた訳が、分かったような気がします。
分かったというか、井上靖さんが導き出した切腹の理由が、一番納得できたというか。
利休も、その後を継いだ古田織部も、切腹という幕切れ。。
そんな茶人たちが残した茶道と、私はこれから、どう向き合っていくべきか。
ふんわり考えながら・・・
昨夜は、中秋の名月を愛でたり。
愛しの「とらや」の、お月見饅頭を味わったり。