あらゆる物事は反復されると
習慣化されていきます。



わかりやすいのが
お母さんの「聞き方」



これは想像以上にすり込まれていて
当のお母さんさえ、
自分のお母さんから代々刷り込まれているので
なかなか気づけません。



マスクもすり込まれてきましたねぇ

新しい生活様式という名のもと
ずいぶん人の目だけを見ている生活に慣れましたね。


これ、
コロナだから刷り込まれているような気がしますが
じつは、伏線があって
花粉症もさることながら
インフルエンザの時のマスクからじわじわと習慣づけられたようです。




インフルエンザが流行って
学校でマスクを着けさせるようになって
5年になりますが



あれが今への伏線だったんだ
って思うと皮肉じゃなく、感心します。



都内の学校で過度に
インフルエンザ防止のためにマスクはしてください
って強要され始めたときも

一部の先生は国策かって言ってましたが

ほとんどの先生が言うことを聞きました。





子どもたちがマスクしてると受け取る情報がものすごく少なくって
子どもの表情やこちらの表情が乏しくなります。

70%という説もあります


職員会議で
「これって教育活動上なんか不安だ」
って言ったんですが一蹴


「健康の方が大事だ」




マスクが免疫力を落とすとか
肺の機能が低下するとか
かえって不健康だという機能性の問題はじつはもっと大きいのです
ここではあえてふれずに
「教育」という観点で話しをします。


教育的にマスクってよくないだろうって。




ぼくは教員時代
ある先生がマスクして話すときとそうじゃないときの授業をみていましたが
伝わり方が違います。


言葉を発するときの口元ってじつはものすごく大事です。


マスクをしたまま話をしていると
やっぱり聞き取れない子がいました。


ぼくのような注意力散漫な子です。



間違って意味をとらえていたり
聞き間違えたり
そもそもだんだん話を聞かなくなります。



お母さんが小さいころからマスクをしていて
子どもを目だけで見つめていたらどうなんでしょうね。



口伝という言葉があるように
お母さんの口元を見て子どもが言葉を覚えるように。


ぼくらの中にある愛が
表情をベースにして行われている事実を
ぼくらは忘れてはいけないような気がするんです。

 

 


ぼくは小学校の先生をしていて
子どもの周りの人が
子どもを「素晴らしい」
と1000回言っても



お母さんの
たった一回の
「それじゃダメでしょ」
で元に戻ることを何度となく味わってきました。



お母さんの言葉はとっても重たい



それは、おなかの中にいるときから聞いてきた

もっともなじみのある言葉です




ぼくは
「体験は人生の糧」
という母親の言葉が好きです。



その人生を後追いしています。


これ、まっとうなことをいいなさい、
という意味ではありません。



みなさんらしい言葉でいいんです。



でも、子どもに残るんです。



ということは
1000人がその子を否定しても


お母さんの
「それでいい」
一発で逆転できるんです。



これからはますます
お母さんのことばが重くなります。



だってみんながマスクをするから。
マスクをした言葉は
伝わりにくい。


いや、伝わらない
といってもいいでしょう。



自分の子どもにたいする根拠のない自信を伝えるとき
どうかマスクを外してください。




そしてぼく自身、人に思いを伝えるとき
大切な人に愛を伝えるとき
マスクを外して表情のすべてを見せたいと思っています。



ばななんち、そんな場所にしたいと思っています。