ばななです
5月10日(日)
横浜技能会館で200人越えの方々を集めてお話会をします。
どうなるかわからりませんが
やってみまーす
ぼくが自分のあり方で、
あり方から来る自己表現で
当日まで活動していたら
人が集まってくれるだろうと思っています。
では、ぼくのあり方は、何だろう?
書くこと
そして話すこと
だ、と思っています。
よろしくお願いいたします。
時代は「漢字テストを全員が100点取る時代」
ぼくはよく
「みんなでテストを100点取る」という活動をしています。
あらかじめ、テストの問題を伝えた上で
当日テストをするんですが、
漢字などはなかなか覚えられない。
そこで、100点取れた子が一画だけ教えられる、
ってルールをつけるんです。
そうすると、
漢字の苦手な子も数回のテストで
みんなが100点を取るんですね。
なぜそれができるか。
それはみんなの意識が
「全員が100点」
というところにフォーカスしていて
そのために、教える人は
教えることをためらわず
教わる子は教わることをためらわないからなのです。
その活動には
それぞれのあり方が表現されて
場の中で調和しています。
中には
教える子が
「教えさせてくれてありがとう」
って言うことがあります。
教わっている子が
えっ、って驚きます。
自分が教えていいんだ、と言うこと
自分が教わっていいんだ、と言うこと。
それが場の中で自分のあり方に気づくという感覚です。
ときおり
「みんなに教えてずるい」
「テストにならないのでは」
という連絡帳が来ることがあります。
子どもではなく保護者からです。
その気持ちもよく分かります。
差別化された場で
100点をとると、
集団における自分の位置がわかるからです。
競争に勝つことが成功だと思われている時代が
長く続いてきたので
どうしてもそれにとらわれてしまいます。
お子さんが好きだからです。
我が子に幸せであって欲しいからです。
でも、みんなで漢字テストをやることは
位置が分かった上で
「どうあるのか」
っていうことに取り組んでいく世界です。
みんながあり方を共有すると
自分を生かしてくれるのがみんなだと気づきます。
ようは、自分の100点は
みんな与えるための100点だと気づくのです。
よかよかはあり方で生きる
ということをテーマにしていますが
あり方で生きるとは
そんな難しいことじゃなく
小学校の教室で皆さんのやっていたことを
今、この瞬間にやってみよう
っていうことなのです。