今週から時間があるのに任せ
自分の「ただしゃべる」を追求することをオンラインにてやります。
全て1時間です。
5月13日(月)15時~ ふとうこうについて
5月14日(火) 9時~ パートナーシップについて
5月15日(水)13時~ 自分科について 14時から自分科講座があります
5月16日(木)17時~ なんでお母さんを応援しているのかについて
5月17日(金)21時~ 先生ってどんな生き物?
5月18日(土)10時~ 未定
5月19日(日)19時~ 未定
よかったら聞いてください。
IDは 115 506 657 です。
ずっと思っていたんですが、
ふとうこうって
「がっこうにいかない科」
って科目を勉強している時間だと思うんです。
行かないことで生じている悶絶や苦悩
(が仮にあったとしたら)
それも勉強。
物理的には
学校という場所ではないけれど
心理的には
学校という場所にとらわれていることも
また学習。
そう考えると
ふとうこうを支援する
という考え方は
(本人が望まない)逆上がりができない子に
無理矢理やらせようとすることと
じつはあまり変わらない気がしていました。
そうすると、
と子どもが言えずに苦しんでいる
とか
学習権はという意見があります。
1つにまとめると
「子どもにはそれができない、気の毒だ」
という論調になります。
たしかにそのような一面もあるのですが、
ぼくはむしろ、
「子どもには出来ない」
「子どもは弱い」
という社会通念上の考えの方が気になります。
こう話していても
まったくそんなことは話さないかも知れない
「ばななの中心で愛を叫ぶ」
よかったら遊びに来てください。
