「先生、ぼく、もういやだよ」
以前、5年生を担任したとき、ある男の子が泣きながら床をたたきました。
その子は勉強が出来ません。
宿題をやってこなくってしかられます。
忘れ物も多く、だらしなく友達からバカにされることもたくさんあります。
家では両親の仲が悪く、経済的にも不安定、お父さんが仕事をせず、離婚という言葉がいつもちらついている。
その日は、家で何かあったらしく、
登校した直後に私物があちこちに落ちているのをいつものように注意したら、
いつもなら笑って謝るのに、ものすごく激しく怒り出しました。
突然、帰ると家に帰るといい、教室を出て行きました。
わたしはあわてて追いかけ、彼を引きとめました。
しかし、興奮しているのが分かったので、
家に電話をし、迎えに来てもらうことにしました。
帰ろうとする彼を引きとめている途中、
座り込んだ彼の口から嗚咽とともにでた言葉がこれでした。
きっとやっとのことで学校に来てくれたんでしょうね。
※お父さんとお母さんがもめたことが後に分かりました。
わたしは自分のしたことを謝りました。
そのときに思いました。
教育って何だろう、って。
教育が人を育てる営みだとしたら、わたしは本当に人を育てているのか、と。
そもそも人を育てるってどういうことなんだろう、と。
わたしたちのやっていることは彼のような子どもをただ単に否定しているだけじゃないか、と。
「君はどうなりたいの?」
しばらくたって、その子に聞きました。
「どうにもなれないよ」
そう答えました。
そう、その子に思わせているなら、わたしのしていることは教育ではないような気がするのです。
「今やっている事って
いつかきっと君を君にするんじゃないのかな?」
彼はきょとん、としていました。
その子が行くべき場所へ。
そこに向かうためのお手伝い。
それがぼくらの使命だと思うのです。
「無責任かも知れないけれど、
今のそれでいいんだよ
ぼくは今の君が好きだしね」

