今じゃこんなしゃべるけど

ぼく場面緘黙児でした。

 

 

 

うちや近しい友達には堰をきったようにしゃべるけど

 

 

 

 

親戚や教室の前では

じーっと観察しています。

 

 

 

 

そんなぼくに

ともちゃんがびっくりして

 

 

 

親戚に挨拶に行く道中ではしゃべりまくっていたのに

向こうでは怒っているのか

というくらい黙りこくっていたので。

 

 

「なんなの? コイツ」

「何、この落差」

って思ったそうです。

 

 

 

 

 

 

そんなヘンな子なので

なかなか人に声をかけられず

 

 

 

 

夏休みはたいてい1人か妹と遊んでいました。

 

 

 

 

たいくつで散歩に行くんです。

 

暑い中、

立ち寄ったくさむらで

 

 

じーっと

 

じーっと

 

 

じーっと見ているんです。

 

 

 

自分の呼吸と

 

遠くに聞こえる蝉の声

 

 

じりじりという暑さの感覚の中

 

 

 

一匹のバッタを見つけるんです。

 

 

草とみまがうのですが、

たしかにそこに草とは異質なものとして存在している。

 

 

 

それがすごく嬉しいんです。

 

 

 

それは、お互いの存在が確認できた瞬間なんです。

 

 

 

ああ、ここにいるんだ。

お互い、分かって欲しいんだ。

 

 

なんかそれに満足して帰っていくのです。

へんな小学校3、4年生でしょ(^o^)

 

 

 

 

あなたの存在が

何かが出来ることや

誰かの役に立つことだけで証明されるなら

 

 

 

 

それは大間違い。

 

 

 

 

 

あなたはいるだけで素晴らしい

ってばななは思うのです。