1年以上前になりますが

ぼくの教え子が結婚しました。

 

 

ということで2人に何年かぶりに会って来ました。

 

 

 

小学校5、6年生に2人とも担任した子でした。

要するに同級生です。

 

 

 

高校時代に好きあったらしく、その後、数年間別の人とおつきあいしていたんですが

ひょんなことで再会し、結婚したということでした。

 

 

 

男の子の方は、家でたばこを吸うわ

家のお金は散財するわ、

兄弟や母親に手を挙げるわ、

家の壁に穴をあけるわでちょっとばかりお家じゃないところにいた時期がありました。

 

 

で、そんなもんだから、戻ってきても当然学校に来るはずもなく、

ぼくは毎日、彼の家に行きました。

 

 

行くと、彼が居ました。

そしてドアを開けてくれました。

 

 

家族は誰も居ないようで

あたりに食べかけのパンやスナック菓子が散乱していました。

玄関で彼からすすめられるままたばこを吸い。

※ぼく、当日は吸っていました。2人で何もしゃべらず、

たたきに座って、ただ、たばこを吸っていると

 

 

「悲しいよ」

「家の人にわかって欲しかっただけなんだよ」

 

っていう声が聞こえた気がしました。

 

 

 

その声を聞いた途端、

不思議と

 

 

荒れていた職員室、

家族との関係性が築けず

向き合えず逃げ惑っていた

ぼくのことが頭に浮かぶのでした。

 

 

 

それは、彼の声じゃなく、ぼくの声でした。

 

 

 

ぼくは息子が生まれたとき

たばこをやめましたが、

 

 

 

久々に出会った彼らは、たばこを吸っていました。

3人で話していてなんとなく

その頃の話になり

 

 

奥さんが

「でも、お母さん、こいつが家に帰ってくると

今、ものすごく喜んでいるんですよ」

といいました。

 

 

あの殺気だった目の子が、

お母さんの話でくしゃしくしゃの顔になりました。

 

 

 

 

 

 

数ヶ月前、その2人から子どもが生まれた

っていう連絡が来ました。

 

 

 

 

 

自分があのとき感じて欲しかったこと

経験できるね、

っていいました。

 

 

 

親になると

「あの頃の自分」をもう一度生きられます。

 

 

 

それはときに、

見たくない自分を見ることでもあります。

 

 

 

だからお母さんは

子育てを苦しく感じることがある。

 

 

 

でも、いいんです。

それが、それこそが大切なんです。

 

 

 

それが自分が生かされていることの感謝へと繋がるから。

母親から自分を経て子どもへと脈々と流れる

命の循環を知るから。

 

 

 

子どもが必ず手伝ってくれるし、

その感情を味わったときに

ほんとうの家族になれるんだろうな。

 

それが良いのか悪いのか分からないけれど、

その覚悟を持った人のギフトなんだ、

とぼくは思います。