AIの普及やロボット化、地球の環境の激変や

人口減などで

日本はオリンピックを境に大きく変わると思っている。

 

 

いろいろなしばりも水面下ですすめられているしね。

 

 

 

たぶん、学校に行かなくってもすむ時代になると思っている。

ふとうこうなど過去の遺物になるでしょう。

 

 

だって、すべてネットワークや情報通信機器の活用ですんでしまう。

もう、近々、自分のデジタル機器を学校に持ってくるようになってしまう。

そうしたら、ものによってはわざわざ学校に来る必要がなくなるから。

 

 

 

みんなとリアルな体験をしたい人がしたいときだけ学校に来るとかね。

運動会だけやりに来る、っていう感じでしょうか。

 

 

 

そして、わたしたちの仕事の多くは、ロボットやAIに取って代わられてしまう。

例えば、先生も学習指導の半分は、プログラミングソフトがやってしまうだろう。

 

 

でも、人工知能やロボットでは決して出来ないことがある。

 

 

その一つが

「それでいい」

って存在の全てを承認することだ。

もっともそれができる人がいる。

 

 

お母さんだ。

 

 

お母さんの時代がくるとぼくは思っている。

 

 

お母さんが幅を利かすというより、

お母さん的なものの見方が大切だという意味だ。

 

 

お母さんという役割をすると、

結局、我が子に勝てないことに気づく。

思い通りに全くならない。

 

 

そのときの諦め。

どちらでもいい、っていう感覚。

 

 

それが「それでいい」だ。

 

 

 

たぶん、これ以上愛に満ち表現はないんじゃないだろうか。

 

だから、ぼくらのスタッフの多くはお母さんだ。

 

 

お母さんを経験し、

諦めて、

相手のあり方を尊重することが、一番相手を大切にすることだと知った人だ。

 

 

そして、相手を尊重するために、

自分を尊重するということに気づいた人たちが集う場で

なんとなしにやってしまうこと

 

それがあり方だ。

 

 

たぶん、これからは、

がまんしてやってきたことはみんなロボットやAIがやってしまう。

 

 

だから、好きなことをしよう、っていいだす。

 

 

でも、好きなことって意外と

得意なことだったり

褒めてもらえることだったりする。

 

 

あり方ってすでにやってるんだ。

探すことでも磨くことでもない、

好きなこととか超越しているとぼくは思っている。

 

 

 

そしてあり方に気づくには、

コミュニティーの中に入ることが早道だ。

 

 

 

これからは、あり方、そしてコミュニティーの時代だとぼくは思っている。

 

 

よかよか学院というぼくらのチームは

30人くらいの「よかよかん」がいる。

 

 

これは1クラスと大体同じ人数だ。

その方達がかかりのじかん

(自分を幸せに・まわりを幸せにする表現活動)

が始まった。

 

 

 

すごいことになると思う。

 

 

見守って、ときにフォローしたり、サポートしたり。

でも、巻き込みの渦のセンターにいるぼくが

ぼくの「やりたい」を「やりきる」

ことだ。