今日は確かに忙しかった。

 

結構多忙だった。かなり汗をかいた。

 

その反動で結構大事なことを忘れていて,今かなりピンチ。

明日のフリーの時間にリカバリーできるかな…無理だろうなー

 

そんなこんなで,もしかしたら木曜日にでも移転できるかもしれないなんて話が出ちゃうもんだからあら大変。

上手く行ったら,の話だが,早く行けるほど得なことはない。わざわざここにいる必要性はなく,今の体調がしっかり外資のテンションに合わせて行けるようになるためには,早ければ早いほど良い。

 

今週は忙しくなる。日々が流動的。こんなに明日の状況が見えてこないのもやはり新しい潮流へのうねりなのか。

 

 

 

こういう中にいると,自分が良くも悪くも一人であることが楽だと感じる。

友人付き合いもないし,同級生は誰がどこにいるのか不明瞭。私がどこで何をしていようと誰も興味がないように,私も他の人がどこで何をしているのか興味がない。

そのため,たまに流れてくるタグ付けの何某でしか生存が確認されないのだが,最近は冠婚系統が多いように思う。祝う気にもなれないし,何とも思わない。勝手にどうぞというテンション。関係のない世界に飛び込む人がいるのか〜と思う傍ら,「いつまで持つかな」と楽しみでもあったり。それ見たことか,とどこかの赤い大佐のような言葉を何度言ったことであろうか。誠実で真面目で家庭的な男性より,だらしなくて浮気をする女好きなヒモ男性が良いんだそうで。一生やってろ。

 

せいぜい裏切られればいいのに,という,「祝う」というより「呪う」感情なら湧き上がりやすい。今までのことを考えると,無差別に怨恨の対象になってもおかしくない。

 

勝者は敗者がいるから成り立っていることを忘れるなよ。

 

 

勝者が取っ替え引っ替えをしても,永遠に敗者は死ぬまで敗者のまま。

こんな理不尽なことってあるんだな。それこそ無差別に恨むのも無理はなかろう。

 

お一人様がこの先どれぐらい増えていくのだろうか。これも江戸時代の構図へ戻っているのだろうか。生涯独身者の増加や一生懸命働く社畜の減少,これらは明治維新前の日本を表している。時代が違えば理由やきっかけは異なるのだが,そこから導かれる結果は,デジャビュのように感じることもある。あれ,そういえば昔こうじゃなかったっけ,と。

 

生涯独身者が増えたのは男より女側の責任の方が数倍高いと思うのではあるが,これに気付かず身の程をわきまえない限り,理想と現実は永遠に離れていく。

もてはやされて調子に乗っているニセ姫よ。平等という言葉を1000000回唱えて意味をじっくり考えろ。それが分からないのなら今すぐこの世から去るべき。

 

いい加減にしなさいという言葉も,何度言ったか分からない。私を選ぶ必要は全くないが,少なくとも自分が崖下に突き落とされる選択肢を選ぶことは,文字通り自殺行為だということを分かれ!

 

感情のジェットコースターで毎日上ったり下ったり,もうそういう歳でもないだろう。いい加減落ち着いたらどうですか。

どうなったのかは分からないが,今度こそ地に足をついた思考で前を向いて進んで欲しいと願うよ。

 

 

私かい?もうそんな歳も過ぎちゃって…今更やり直すほどの元気もないし,湧かない感情は封印したのか枯れてしまったのか。いずれにしろ,覆水盆に返らず。無いものは何をひっくり返しても出てこない。会ってないだけというなら,今すぐ連れてこい。

 

至上主義者にとってはありえないとでも言われるような,これが現実だ。

本日も特にやることがなく,それでも少し出歩いたのでちょっとは時間潰しになった。明日は平日。ようやく動きがあるだろうが,それでも不安は尽きぬもの。明日は結構波乱の1日になる予感。明日こそどうか,明日が良き日であればこそ本当に自分がこれから少しずつ報われるんだなぁと感じられるし,そうじゃなければ明日にでも首吊ってやろうかと思うくらいこの世界に絶望する。そんな明日に…もうなってます。泣いても笑っても…だが,せめて明日くらいは腹から笑える1日であってほしい。

 

 

そんな今日だが,今までと趣向を少し変えて,自分の将来を改めて見つめた時に出てくる内容。今までもずっと考えてきたことだし,自分も20代も真ん中になって,周りのそういう浮ついた話も出て,ちらほらそういう人もいるらしい何ぞ風の噂で聞くようになり,家族にもアラサーがで始めるようになったからこそ改めて自分の所感を書き記しておこうと思い立つ。

 

 

 

私は「非婚者」だ。

 

結婚や恋愛に,好きか嫌いかの感情がなく,むしろ無に近い。不可能なことに対して好きも嫌いもないだろって境地。出来るなら,なんてそんな幻想すらも,聞かれる時点で不愉快。だ・か・ら,出来るわけないって言ってんだろ,と。

 

基本的にその手のコンテンツに関心が集まるのは思春期真っ盛りの中高生だろうが,私はその時期を部活動に全力を投じ,更には中2で二次元熱がボルケーノを迎えたため,現実の異性に興味を示すことがなかった。チリチリの天然パーマ状態の頭を「キモいキモい」言われたことも拍車をかけていると言える。自分には無縁の世界が現実には広がっている。そういう冷ややかな目で同世代を「ガキ」と位置付けて距離を置いたことで,自分は急激に老化して行った。

 

進学してもそれは変わらず,チャラくなければ非モテ,という先入観は目の前に広がる現実と見事にマッチし,仮定から根拠を含めた理論が成り立ち,「恋愛=関係ない世界」が根付いて行った。

 

就職したとしてもそこは揺らぐことがなく…ではあったのだが,少し調子づいてしまったのか,それとも免疫がなさすぎたのか,女子たちの足となり,ホッカイロとなり,良いように使われてばかりだった。擬似的なデート体験だけでお腹いっぱいになろうと思い込ませていたからかもしれない。結局は自分がお人好しだったから「いい人」として体よく使われただけということを後で知り,やはり関係のない世界だったんだと改めて実感。どこまで行っても自分にはそういう世界へ招かれる資格は無かったんだなと,今までを振り返りながら感じたのであった。

 

年上の,子持ちの同期(42歳)からもたくさんグチを聞き,他の20代の同僚や30代の後輩からもグチや悩みを聞かされた。

他の男性に比べると,恐らく自分が教育者として長らく従事していたり,年の割に頭の中が老けていることが,親というレベルにまで昇華してしまった結果なのかと思った。つまり,もう恋愛とか結婚とか,そういう段階からは卒業しているのだ。

 

だが,入学する前に卒業してしまっているとはどういうことだろうか。

 

 

 

大抵は,学生時代とか,幼馴染とか,昔からの縁故が多いが,私には一切ない。

聞けば,街コンや合コンみたいなものは成功率が極端に低いというではないか。

そもそも私はそのような若者の会合なんぞ興味もないし,下らないと思っているから,行く気はさらさらない。そこまでする価値もないからだ。

 

孫子の兵法にもあるように,負け戦はしないのが鉄則。

生き恥を晒すくらいなら,とある少佐のようにドムに乗ってア・バオア・クーの戦場へと歩を進めるのが兵士としての生き様よ…

 

 

最大の理由として,私は「好き」という感情を喪失している。体験してないだけというが,残念ながら持ち合わせていないのだ。向けられることもないのに,持てるはずもなかろう。自分という存在が,血脈を残してはならない人類だというのは百も承知だし,それが本能的に三大欲求すらも封じ殺しているのであれば,これもまた,自分の定めだと受け入れざるを得ない。

 

恋愛漫画やドラマも見ているだけでヘドが出るし,そういうのは美男美女だけに与えられた特権であって,そうでなければ今すぐにでも全員首を吊って死ななければならない世の中だろう?

そういう先入観をしっかり植えつけた挙句,恋愛しなければ非人,なくらいの価値観を与え続け,全く度し難い世の中になってしまったものだ。

 

人は試乗車でも一時期の心の暖まるホッカイロでもないんだぞ。付き合っただの別れただの,簡単に結婚・離婚・出産までやってしまう始末。けしからんどころか,もう目も当てられない。全く最近の若いもんは。

 

こんなのが当たり前な世界に,自分が行うことはただ一つ。「一抜けること」だ。

こんなバカみたいなことをやることができない。感情も持ち合わせていないし,持ち合わせる機会もない,予定もない。

 

好かれる気もないし,好かれたいとも思わない。ホッカイロ目的のクズに興味はない。

 

簡単に裏切る人間は信用できない。信じられるのはモノだけ。私の愛はモノに向けることにしている。

 

 

血判状レベルで裏切らないと誓える人ならまだ信じても良いが,それでも少し怪しいな。

 

女なんてコスパが悪い。産む機械という言葉,私からしたら拍手ものだ。

どこまでもバカにしやがって。

 

 

自分そのものが不適格者だし,下らないコンテンツに興味も意欲もない。これからも持つことはない。

 

よって,非婚者として,死ぬまで独身でい続ける。

少子高齢化,及び独身率加速に貢献する。

 

このまま生涯独身率が50%とか超えたら良いな。この日の本の国に生きる全ての馬鹿者たちの目が覚める頃には,日本は落ちるところまで落ちている。

 

楽しみだなぁ。

 

 

 

結婚式とか呼ばないでね。全員に殺意振りまいちゃうから。

さて,今日はようやくこちらから先手を打って動くことができた。

通らないことには意味がない段階ではあるが,これさえクリアすればあとは野となれ山となれ。

この最後の壁さえどうにかなってほしいのだが…色々抱えている状況では予断を辞さない状況なわけで。本当に厳しい。これでダメならまたお先真っ暗になってしまう。ここにきてこれは逆に恨むぜ建託。

 

土曜日ということで特に何も動きはなかったのだが,何故か体が疲労感で満たされている。何もすることはないのだが,ないからこそ逆に身を持て余して,無駄な疲労感が溜まってきている。

 

自分で行動できないことのなんたる寂しいことよ。この牢獄から一刻も早く出なければ,どんどん体が蝕まれていく。それに,荷物類もどんどん状態が悪くなっていく。折角のグッズ類なのに。野外放置でどんどん状態が悪くなる。早く救い出さないと。

 

 

 

今日は少し自分でゆっくりものを考える余裕があり,別方面のことについても考える余裕があった。それがタイトルにおける「個人的なエンターテイメントに用はない」である。

芸術という教科において美術と音楽の分類があるわけだが,似て非なるものであると思う。アートとエンターテイメント。言葉すら違う。

 

アートとしての音楽もあるだろうが,私が求めるのはエンターテイメントとしての音楽である。私の知る団体はエンターテイメントの渦中にいたはずなのだが,何故かアートとしての音楽に興じていたように見えた。実にミスマッチ。顔を覆わずにはいられなかった。ふざけてんのかなとも思えなくもなかった。アートとしても失格だし,エンターテイメントとしては論外。優秀な指揮者が一人いたのが幸いだったくらいだ。彼は惜しまれつつ去るが,私は喜ばれながら去った。その方が良い。合わない人間は永遠に合わないし,自分たちがやっているのが学芸会以下のおままごとであることは恐らく永遠に理解できない。そもそもの土壌が悪いから,井の中の蛙は永遠に大海を知らぬまま,己の狭量さを世間様に晒し続ける。エンターテイメントに嘘をつき,騙し続ける。冒涜と言っても過言ではない。

 

その運営でいいのか?よくこれで持っていたな。逆に感心した。やっぱりこんなもんか。そう思う場面も幾多あった。同年代と合わないというのはよく分かった。思考がガキ臭くて空っぽだな〜と何度も何度も感じた。こんなんが存在できるというのはつまりそういうことだ。自分が恵まれた環境にいたことを改めて感じたし,上を知れば知るほど,下の世界がどれだけ腐っているのかもよく理解できた。そういう意味では,自分のエンターテイメント,自分の音楽を改めて感じる良い機会だったと思う。もう二度と会うことがないから,唾でも糞でも盛大に振りまいて,どう思われようと気にもしない。

嫌うなら嫌えばいい。その50倍嫌うから。末代まで呪うから覚悟しとけ。

 

味方にはお人好しなくらい信用するが,敵には一生容赦しない。細胞の欠片まで粉々にしても物足りない怒りと恨みを持って,末代まで憑き纏ってやる。

 

 

ヘラヘラした減らず口が叩けなくなる日を願って。