文はダンテの「神曲」より引用。
地獄門に記されている一文である。”この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ”のラテン語である。
これからの未来に向かうのに希望を捨てるのもおかしな話だが,のんびりした日々からまた激動の日々へ戻ろうとしている自分にとっては,希望を捨てるというのも,別の視点から見れば,あながち間違いではないのかもしれない。
今日は朝にとある会社へ連絡を入れたのだが,まだOffer Letterが発送されていない様子。送ってもらうようお願いをし,今日の夜にメールで送られて来た。どうも別の住所に発送してしまったらしい。あれ,連絡もらった直後に返信したはずなのだが…見てなかったのかしら…
返答をするのは月曜日以降に持ち越されそうな週末を迎えるのだが,まずはこちらから先に進める戦闘準備は整った。明日には行動開始と行きましょう。持ち前の行動力でこの1週間を埋め尽くしましょうぞ。
さて,今日はちょっと一悶着あったので,思ったことがある。
自分を棚に上げること。色々と思いついたのだが,この一言に尽きると思う。
自分を棚に上げて,忘れたこともやってないことも全部棚に上げて,自分がされたことだけを相手に突き出し「私は被害者だ!」と叫ぶ。これはいかがなものだろうか。
火のないところに煙は立たぬ。人の行動の裏には何か理由がある。それを察することもせず,自分の都合を相手に押し付けておきながら,相手が悪いと喚き散らす。
法律に違反してるわけでもなし,憲法に違反してるわけでもなし,何をそんなに喚く必要があるのか分からないことの方が多い。
努力は美しくもなんともないし,美談にするべきではない。
あとでまたちゃんとこれも1つのネタにするが,報連相の正しい意味は,当該人物にこの3項目をきちんと行える人かどうかが問われるものであって,強制するものではない。
今目の前にいない人たちの名前を出して責めるのはいかがなものだろうか。お前は目の前にいる私と話しているのだろう。なぜそいつが出て来る。あいつを出す。意味が分からない。そう言えば相手に刺さると思っているのだろうが,そうはイカの天ぷら。むしろ不快でしかない。他の人の厚意を踏みにじるような真似をしないでいただきたい。被害者意識も甚だしい。被害者妄想も甚だしい。
まずは自分を客観的に見て,報連相をもらうに相応しいか,じっくり考えた上で発言してもらいたい。恐らく無理だろうが。
とある少佐も言いました。”貴様などに話す舌は持たん”と。
直接言って分かるならもう直接言ってる。言っても分からないと知ってるから,言わない。そのせいで大きな被害を受け,自責の念と悔恨の念でみたされるまで,分からないだろう。後の祭りにならなければ,悔いることはないような人だっているのだ。