初日が始動した。

 

聞けば聞くほど衝撃的でクレイジーでホットでユニーク。

やはり外資は楽しい。業務に本格的に入っても漫然とした日々にはならなそうだ。

 

これまではさておき,ここから。これから。

 

さて今日からまた新たな何かが始まる。

Everyday is Still Day One.

毎日が初日。初心云々とはちょっとニュアンスが違うが。

 

まだ見ぬDay Oneのために,今日というDay OneをHave Funするか。

 

 

 

改めて社会に出るようになって様々な人間と交わるようになったが,仕事の上ではまだまだ自分も色々押し隠して演じることはできなくはない。

しかしながら,その先を考えると,無理が生じてくる可能性が高い。

自分が一人でいる瞬間がとても新鮮に感じるようになったし,すこぶる落ち着く。

 

家に誰もいない空間。車内の一人な空間。

おかえりを言う人がいないのは寂しいなどと言う輩もいるが,全くそうは思わない。むしろどこまでも押し隠して自分を自分じゃなくてしまうことの方が辛いし寂しいものだ。一種の自己否定のようなものであるからだ。

 

こうして朝から色々な用意をしたりブログを書き綴って見たり,自由だからこそできること。制限なく自分の日程を,自分の家を縦横無尽に動き回ることができる。

 

 

自分が自分じゃない何かになってしまうのはとても辛いものだ。

いよいよ明日から,始まる。この日をどれだけ待ち続けたことか。

明日という日は,この2016年の失態を大きくリカバリーすることになるであろう。

 

この半年で環境を大きく変え続けた。愛知,岩手,秋田,宮城。あっち行ったりこっち行ったり。その分の損耗も激しかったが,得られるものも大きかった。

外資というより刺激的な場所からよりホットな人生をスタートできることは何物にも替え難い喜びである。

 

今から仕事モード。早く寝なければ…

 

 

 

今回は仕事に関することにしよう。

「報・連・相」という言葉は聞いたことがあるだろう。

よく新人研修などで出てくることが多いと聞く。というのも,自分には新人研修なるものがなかったからだ。新卒で採用されたことがないからである。しかしながら,改めて思い返すと,自分に偏屈な考え方を押し付けられなくて良かったと思える。

 

 

よくこの言葉の意味を聞くと,「報告・連絡・相談をしろ」と返ってくる。いわゆる部下に対して上司がやれと言っているものだ。

 

しかしながら,この言葉の起源を辿ると,明らかにおかしいことに気付く。

1982年に山種証券社長の山崎富治氏がキャンペーンとして初めた際には,部下から嫌なデータや喜ばしくない情報を積極的に吸い上げて,会社全体の風通しをよくしようという狙いがあったのだ。つまり部下の努力目標などではない。

 

 

しかしながら,それを理解せずに,部下に対して促す上司のなんたる多いことか。

 

にわかには信じられなかったが,実際に私の知る社長がこの発言をしたことにより実感した。これでよく人前に顔を出せるなと思ったものだ。

 

無知をしっかりアピールしたことで求心力は大きく低下する。これは楽しみだ。

 

先述の通り部下が努力目標で実施しても,

報告をしたところで,上司が聞くはずもない。

連絡をしても上司は何の役にも立たない。

相談を上司が聞くはずがない。

 

そういうことだ。無知をアピールした上司は無能なのである。

 

 

報・連・相は部下がやることではない。上司,ひいては経営陣が行うことなのだ。

 

 

代表取締役社長。

名称だけは同じだが,私の知る代表取締役社長やCEOとは天と地ほどの差がある。

人間の出来が違うと,こうも違うものなのか…

本日は連休2日目の日曜日。特にやることもなく、今日しかできないことを粛々と片付けて終わった。

昨日までが動きのある期間だっただけに、今日はとても間の抜けた時間を過ごした。

明後日からの多忙な日々を思い浮かべながら、今日も元気にバッサリ家で斬っている。撃つのもいいが、斬るのもいい。

明日も多分斬ってるだろう。
土日祝は何も進まないから待ちぼうけ。



今日は、何のきっかけもなくこの話。
自分が興味を失い、諦めたにも関わらずそれでも関心を捨てきれていないのには理由がある。
「分からない」ことがどうにもモヤモヤするのだ。
それに、できるのにしないことと、できなくてしないことは明らかに差異がある。負けを認めるということだ。現段階での最近の若者どもや周りの人間を見ていると、あんなん以下なのかと思うと、無念さと同時に怒りが湧いて来る。

突破できないジェリコの壁でもなく、くぐる時はすべての希望を捨てなければならない地獄門でもなく、ひのきのぼうではぐれメタルに挑んでいるわけでもない。
にも関わらず、何だこの体たらくは。はいそうですねと引き下がるのはとても不愉快なのだ。

改めて分析すると、結果は明白だった。外見が120%なのだ。そして自分の周りはどこまで手を広げても必ず売約済みになるようにできている。これは今までの経験から証明された事実。これを歪めることは何人にもできないこと。
更に、私には人を好く感情がない。存在しないのだ。好かれることもなければ好くこともない。逆相思相愛だ。

できない理由はさておき、形のないものやどうしようもないものに主眼を置いたところで、理論的な分析はできない。


だから、私は私なりに考えてみた。
感情に判断を委ねることはできない。
ならば、コスパと損得で判断するべきである、と。
その人間に対してかける時間、費用はその後の自分にどれだけ利するものになるか。かけた分のマージンがあるのか。
できるわけもないエリアを考えるのも癪だが、考えていないと必ず損をする運の悪さ銀河一の人間だから、無駄なことにも時間をかけていないといけないのもなんだか損をしているようであまり歓迎できたものじゃないが、仕方ない。死後に神も仏も全員しばき倒して恨み晴らしてやる。

コスパと損得で考えるのはとても効率的で理論的。感情的に考えるなんて不明瞭過ぎて根拠もない空虚なたわ言の繰り返しに過ぎない。そんな突発的な行き当たりばったりなんてマネは自分にはできない。


感情がないなら感情無しで考えればいい。
分かりやすくていい。