この土日は,特に土曜日の午前中は結構フィーバーしていたのだが,それ以外はそうでもなく過ぎ去ってしまった。
自分の環境に大幅なアップデートや大きなリカバリーがあり,そのお陰で調整に結構な時間を割いたような割かなかったような。
新たな暇つぶしのための消火作業に明け暮れていたため,中々思うような進行具合ではなかったが,まずやるべきことはやれたのでよしとする。
必ず休みの日に行う家事の類も全て遂行できたのでNO問題。
明日からの忙しい1週間に向けて万事整った。と思う。また明日から楽しみだわ~
…と,仕事の上では楽しいのだが,林先生の講義を見ての改めての考察。
こと婚活や恋愛において,自分と相手にはギブアンドテイクの関係が成り立つ。物々交換とはよく言ったものだが,自分が望むだけ相手にも同じくらいのレベルの要求をされても,NOと言える資格は無いと言うアレ。
年収2000万とかほざくなら,その2000万に相応しい対価を出せるのか,ということ。
更に,前の会社の敬愛する先輩から,「相手は鏡のようなもの。合う人というのは自分のような人」という言葉を思い出し,改めて仮定→実験→考察をしてみた。ここで実験はできないから,実体験と追体験でカバーした。
論理的観点から振り返ると,まずは市場に残っているような人というのは,簡単に言うと誰にも見向きもされなかったタイプ,というのが得てして多くなる。
つまりは,魅力皆無なのだ。それは私にも言えたことなので,同類項と言える。
これぞ合致ではないかと言う人もいるだろうが,それは超短絡的である。
魅力が無いのだから,お互いにお互いを選択肢に入れないのだ。
つまりは,誰の選択肢にも入らない人は,鏡になるような人にも選択肢に入らないのだから,出口もなく,お互いに交わることの無い迷路に反対方向から入るようなものなのだ。
客観的に見て,確かにどう考えても魅力と呼ばれる点を1点でも見つけることが不可能。むしろ逆のネックな部分ばかり目に付くので,対象外を絵に描いたような何某なのだと思う。
かといって前回のエントリーにあるように,汚れそのものはどう磨いたところで汚れ以上にはならない。どういう方面に努力しても,するだけムダなのだ。
フォローの声が目に浮かぶ。
・まだ出会ってないだけ
・若いんだからチャンスはまだある
・オシャレをすれば変わる
・○○さんでもできたんだから大丈夫
などなど。
よく考えて欲しい。
そもそも感情を無くした人に誰が魅力を感じるのか?
別の誰かに大丈夫だったとしてもそれは何の慰めにもなってないし,もしそれが更に低レベルの人であれば,ますます自分に関係のない世界だから,自分という存在に対してNOされているのだという思いを強くする。
今までの経験則は大きく作用している。身だしなみや外に出かけないことは一切関係ない。そんな1ファクターで人生を左右されてたまるものか。
ということは,なぜなのか。
自分だから,である。
どう着飾ろうが,どう変えようが,自分という存在をNOと見ているのだから,努力するだけムダ。合う人なんてものも皆無。
全世界からNOを突きつけられているのだから,どう足掻いてもリカバリーは不可能。
既にこちらから動くことは諦めているから,誰も来ないなら自分中心に動く。徹底的に自己中を貫く。人が居ると邪魔だ。
こちらもありとあらゆる人間という存在を否定する。
何でも許せるほど,こちらもお人好しじゃ無い。