今週が始まった。

 

心地よい疲労感に包まれているが,毎日起きるのがそこそこしんどい。

おじいちゃん,歳だのう。

 

毎日Obsessionしているから,これからも毎日Obsessionするんだなぁと思いつつ,今日も支度して向かうのであった。

 

 

さてはて,タイトルのものはサイバーエージェントの藤田晋社長の言葉である。

前例というものは破るものであって守るものでは無い。新たな道を開くためには前例を破って切り拓くことが肝要なのだ,と。

 

まさしくその通りである。

会社の規則然り,事業のやりかた然り,福利厚生然り,「今までそんなことした場所ないじゃないか」は通用しないということだ。ただの言い訳であり,みんながやってないから私もやらない,は自ら進化を放棄するようなものである。

 

更に,実の所これを思い立ったのは,実際に手当として移転費用を補助する企業があったからである。にも関わらず「そんな場所はない」と断言されたため,果てしなく疑問に思ったのがきっかけ。

そんな世間知らずに話す舌は持ち合わせてないため,そのまま井の中の蛙でいればいい。

 

そんな前例に縛られたようでは,所詮その程度の企業だと思うしか無い。

人に恩を売りつけておきながら,自分は善人アピールを絶やさず,人のために働かせる,いや,奉仕することを強いて,必要なものを出さず,勤労をボランティア同然にするその姿勢が,世間知らずをより強調させている。

 

時代は変わった。そんな精神では,旧来の封建制度にも反する。

 

 

人にでかい口を叩く前に,幼稚園からやり直すべき。

その前に,もっと簡単に人の役に立つ方法がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消えろ

この土日は,特に土曜日の午前中は結構フィーバーしていたのだが,それ以外はそうでもなく過ぎ去ってしまった。

 

自分の環境に大幅なアップデートや大きなリカバリーがあり,そのお陰で調整に結構な時間を割いたような割かなかったような。

 

新たな暇つぶしのための消火作業に明け暮れていたため,中々思うような進行具合ではなかったが,まずやるべきことはやれたのでよしとする。

 

必ず休みの日に行う家事の類も全て遂行できたのでNO問題。

明日からの忙しい1週間に向けて万事整った。と思う。また明日から楽しみだわ~

 

 

…と,仕事の上では楽しいのだが,林先生の講義を見ての改めての考察。

こと婚活や恋愛において,自分と相手にはギブアンドテイクの関係が成り立つ。物々交換とはよく言ったものだが,自分が望むだけ相手にも同じくらいのレベルの要求をされても,NOと言える資格は無いと言うアレ。

 

年収2000万とかほざくなら,その2000万に相応しい対価を出せるのか,ということ。

 

 

更に,前の会社の敬愛する先輩から,「相手は鏡のようなもの。合う人というのは自分のような人」という言葉を思い出し,改めて仮定→実験→考察をしてみた。ここで実験はできないから,実体験と追体験でカバーした。

 

論理的観点から振り返ると,まずは市場に残っているような人というのは,簡単に言うと誰にも見向きもされなかったタイプ,というのが得てして多くなる。

つまりは,魅力皆無なのだ。それは私にも言えたことなので,同類項と言える。

 

これぞ合致ではないかと言う人もいるだろうが,それは超短絡的である。

魅力が無いのだから,お互いにお互いを選択肢に入れないのだ。

 

つまりは,誰の選択肢にも入らない人は,鏡になるような人にも選択肢に入らないのだから,出口もなく,お互いに交わることの無い迷路に反対方向から入るようなものなのだ。

 

 

客観的に見て,確かにどう考えても魅力と呼ばれる点を1点でも見つけることが不可能。むしろ逆のネックな部分ばかり目に付くので,対象外を絵に描いたような何某なのだと思う。

 

かといって前回のエントリーにあるように,汚れそのものはどう磨いたところで汚れ以上にはならない。どういう方面に努力しても,するだけムダなのだ。

 

 

フォローの声が目に浮かぶ。

・まだ出会ってないだけ

・若いんだからチャンスはまだある

・オシャレをすれば変わる

・○○さんでもできたんだから大丈夫

などなど。

 

よく考えて欲しい。

そもそも感情を無くした人に誰が魅力を感じるのか?

別の誰かに大丈夫だったとしてもそれは何の慰めにもなってないし,もしそれが更に低レベルの人であれば,ますます自分に関係のない世界だから,自分という存在に対してNOされているのだという思いを強くする。

今までの経験則は大きく作用している。身だしなみや外に出かけないことは一切関係ない。そんな1ファクターで人生を左右されてたまるものか。

 

ということは,なぜなのか。

自分だから,である。

 

どう着飾ろうが,どう変えようが,自分という存在をNOと見ているのだから,努力するだけムダ。合う人なんてものも皆無。

全世界からNOを突きつけられているのだから,どう足掻いてもリカバリーは不可能。

 

 

既にこちらから動くことは諦めているから,誰も来ないなら自分中心に動く。徹底的に自己中を貫く。人が居ると邪魔だ。

 

こちらもありとあらゆる人間という存在を否定する。

 

 

何でも許せるほど,こちらもお人好しじゃ無い。

 

本日は新たなDay Oneの更なるDay Oneであった。

来るべき日は着々と迫っている。
恐ろしや。

残り数日で何になるのだろうか。
OTしてもいいのなら、もう少し理解や知識を深めていきたいものだ。

会社自体が楽しければ、別に仕事で残る分には楽しい。家にいるより仕事している方が楽しい。まだ大変な部分やイヤな部分が見えていないだけだと思うが、やはり愛知県民のように見栄を全面に押し出した仮面社会人のような集団とは一線を画している。

外資は、良くも悪くも裏表のない正直な面子が揃っている、と思う。
世代がある程度若くても、一般的な常識を持った社会人が集っている。あの環境で業務を遂行するためのスキルやテクニックを備えているからこそ、それには人間性も伴っている。

正規と非正規の違い、とも言うべきなのか、東北と愛知の県民性の違いなのか、逃げ出すようなばかたれもいないし、少し社会性に欠けたのもいるが、著しいのはいない。

ちゃんと自分が適正な場所に収まった。
これからだ。



これから、ではあるのだが、これからもなく閉ざした道もある。

毎日、どこをどう歩いても、何のフラグも立たないし何のイベントもない。ということは、とどのつまり、自分には何の縁も何の導きも何の運命も未来永劫用意されていないということだ。

周りのばかたれからは、「おしゃれをしろ」だの、「外見を磨け」だの言われることが常だが、分かっていない。そんなんで引っかけられるなら苦労するのがおかしい。外見だけで引っかけられるならもう少しマシになっているだろう。それだけで解決するコンテンツならもう少し世間の状況も変わっていると思うのだが、どうだろうか。

つまり、どんなに着飾ろうが、どんなに外見を磨こうが(この表現も反吐が出るほど大嫌いなのだが)、汚れそのものである自分自身はほかの何者にも変わることはなく、死ぬるまで汚れのままで居続ける。汚れは誰にも好まれない。ゆえに、汚れは汚れのままなのだから、何をどう磨こうが一生変わらないということだ。

運にも見放され、神も仏も私を精神的に殺そうとしている。そんな人間が汚れでないのなら、どう表現すればよいのであろうか。

誰も寄りつかない魅力の無さというのは、汚れでないならどう説明すればよいのだろうか。

未来と決別するか、明日と決別するか、それとも希望と決別するか。

どちらにしろ、待っているのはBad End.
どうしてこんな目に。