この数日は体力の損耗が激しかった。

 

ようやくの週末だが,この土日でチャージしないと,来週からもっと厳しくなる。

 

 

今日は久々に興奮と感動した。

しばらく触れたことの無い感覚と雰囲気。

 

リスペクトを越える何かがあった。

自分が到達できない域に達している人は,心の底からリスペクトするし,興味と関心しかない。それも激しく。

 

 

ある程度の感情も必要といえば必要だが,感情は長続きしない。一時の勢いだけで事を運んでまたすぐやり直し,なんて最近の若者によくあるパターン。人は試乗車でも賃貸住宅でもない。責任ある行動と判断,決断をしてほしいものだ。

 

それに比べて,尊敬はそう簡単に揺らがない。自分にとって敵わない,お互いにとって雲の上の存在同士が関係を築くと,長続きする。

 

一時の感情は冷めると冷静な判断が下され,それによって無責任な行動を伴うことがある。

しかしながら,尊敬には一時の感情が含まれず,対象へのリスペクトは永続する。

それがお互いを雲の上の存在同士たらしめ,毎日が刺激であり,発見に満ちる。

 

 

想像を膨らませたり,考えれば考えるほどそれが裏目に出て大きく裏切られる人生を辿っているので,これは一過性のものとして,忘れてしまおう。

その日1日を精一杯やりきって,あとは野となれ山となれ。

 

その先が無いと分かっているから,やりたいようにやった。

余地を残したつもりでいて,余地どころか次回もないと思われる。

 

明日からまた粛々と生きるさ。たまには外したっていいじゃない。それもダメなら,やっぱり明日にでも死んだ方がいいのかしら。

じたくでこどくし。

 

現実は,1人で生きる道をまだ明確に教えてくれない。

ようやく,明日からFront Lineへと出動する。

ここから自分の新たなステージが始まる。

 

何になるにもここから。

どんなレベルになるにもこれから。まずは同期の中でも抜きん出なければ。

 

チャラチャラしていても,メリハリがなければ,ただの若者でもなく,馬鹿者だ。

 

 

明日からどんな内容がやってくるのか。

今までのことをフル活用しながら,更なる進化を目指してもっと努力せねばならぬ。

 

 

 

しかしながら,自分のための努力は反映するのに,他人のために努力することはことごとく裏切られる。誰が悪いというわけでもないのだが,ことごとく裏切られ続けている。

100の努力に280のムダが返される。

 

考えすぎと思うだろう。しかしながら,「ことごとく」という言葉の通り,この20年以上の人生において数10回という回数よりも多く,そして直近では2日で2回,つまりは毎日発生している状況を受けて,考えすぎと呼べるだろうか。

 

つまりは,どこまでも努力すればするほど自分が惨めになるだけなのだから,他人のために何もしない方が賢明であり,努力することはムダと捉え,努力=悪という方程式を設定するのが正しいことになる。

 

自分の生活におけるイレギュラーなタイミングで必ず何か悪いことが起こる。

生活リズムを崩さず,他人と会わず,会話をせず,毎日1人で過ごすことが,自分を惨めにせず,心身の繊細なバランスを保ちつつ孤独死ができる。

 

 

他人と交わることを許されないのだから,もう死ぬまでこのまま1人でいるしかない。

物寂しい気もするが,他人を巻き込むわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不幸になるのも,死ぬのも,自分1人でいい。

本日は結構ディープな内容。

段々レベルアップしていると感じる。
本当にOTしていいのかどうか疑問だし、そうなると多分ボランティアになるが、自分のためのOTは幾分でも構わない。

まずは自分の地盤に盛り土をせねば。


いくら助け合いとは言え、実際は自分のスキルがモノを言う世界だから、人を伸ばす前に自分をしっかり作らねばならぬ。

早く一人になりたい。



よく人生はTry and Errorなんだから、TryしてErrorを積み重ねろ、なんて言葉を聞くことがある。失敗は成功の何とやら、だ。
しかし、これはあくまでErrorの先にSuccessfulがあるから意味があるのであって、その先に待つのがFail、つまり失敗であるなら、これほど無駄な時間はない。ただの踏んだり蹴ったりだからだ。

私は今まで、良い方の予測は基本的に裏切られてきた。悪い方の予測はキレイにピタリとパーフェクトに当たってきた。

自分という存在の価値についても自信があるし、外れなく客観的に完璧に答えられる。


その前提があってこそ思う。
パンドラの箱は開けない方がいい。絶対悪い結果だから。

良い結果に転ぶための要件が難しすぎて、どう転んでも自分が損になるようにしかできていない。


自分が前に出るべきではないし、感情を表に出すべきでもない。そもそも持ち合わせてもいないのに無理して振る舞う必要がない。存在そのものが迷惑だからだ。いつでも蚊帳の外に自ら出る方がいい。交わること自体が他人を不快にさせるし、不幸にさせるであろう。マイナスそのもの、負そのものだからだ。

ここまでを振り返ると、Hedgehog's Dilemmaを思い出す。距離を近付ければ近付けるほど、お互いの針で傷つけあう。そうして適切な距離を知るわけだが、私は針が長すぎて、誰とも見える範囲で交流をすることが困難だ。
自分とは半径50km圏内には近寄ることが出来ない。他人にとって私を不快に感じるためである。

これは何をTryしたところで改善できるわけもなく、生まれつきのものであるため、この先もずっと変わらない。


孤独死の記事がおすすめページを埋め、自宅に届く広告は墓地の売り出しばかり。早く死ねということだろうか。それなら早く殺してくれればいいのに。

時代は独身者を障害者と位置づけ、世間のStrangerと認識している。5人に1人が数年後には3人に1人になる。


世間知らずや妥協を知らないばかたれどもが身の程知らずのジェットコースターを乗り回して、本来の道を捨て、現実から目を背けている。


自分が望むべくもなく、未来に希望もなく、夢もなく、ただただ失礼であり不快であり不幸を呼び寄せる負の存在には、孤独死が妥当な末路である。

余生は残り短いが、こうして日々の思いを形に出来る。


迷惑をかけるのはお互い様だが、かけてはいけないものだってある。
存在が迷惑なら、尚更だ。


いないほうがいい。
そう、いないほうがいい。