200627(土)昼
「淡路ぃーの女ぁー♪」といきなり朝っぱらからド・演歌、自作自演のこぶしが行きかう。また東京は四谷からやって来た局長が二日酔いなのかがなっている。
「いやわあ、局長」とからかわれた淡路出身の美人先輩社員のたまう。
「なっ、ええやろ。淡路の女。哀愁が漂っとる。涙が染み出てくるなあ、○○!!」と淡路在住の女性社員に。
今ならセクハラかもしれないが当時はこれが普通? だったような気がしないでもない。
ここは大阪堂島のオフィスビル街、時は30年前。東京で言えば丸の内の一角である。
こんなことがあっていいのだろうか? 当時二十代前半の純真無垢な青年は少し小首を傾げて思った。
淡路。
大阪の下町。物は安い。阪急電車の交差点。何となく東京の下北沢とクロスして考えてしまうのはどうしたことだろう? なんて思う。
天ぷらうどん300円……大盛りなんで本当は+100円
関東の方。よくごろうじろう。これが関西の立ち食いそばの天ぷらうどんである。
大盛りなんで+100円だったかな?
関西の天ぷらうどんは東京のように野菜の掻き揚げではなく、エビがちょこっと入ってあとはバブル的衣軍団なのである。
ちっちゃなエビを起点としてぐるぐる巻き。
まるでウルトラセブンに出てくる怪獣ナースのようである、といつも思う。
幼少の頃からこれを食いつけた私には東京のかき揚げうどんは別物。別のおいしさはあるものの私の中の天ぷらうどんやはりこれなのである。
大盛りを思わず頼んでしまった気持ちは関西出身の人ならわかっていただけることと思う。
店の名は松屋。
東京やったら牛丼のチェーン店やないか。でもこちらのの方が古いと思う。
店主としばし歓談。ほかの客はいない午前11時頃。
「東京におるとこの天ぷらうどんが無性に食いたくなるねん。東京はみんな野菜のかき揚げやねん。ほんでうどん出汁は昆布効いてなくて醤油が濃すぎるねん」とまくし立てる。
年配の店主「そないでっかあ。そりゃそうかなんなあ」
「東京でも讃岐うどんはあるけど大阪うどんはないねん。いっつも困ってます。淡路は下町でええでんなあ。それにしてもエラい工事になってますなあ」
実は淡路は下町なのだが阪急京都本線とわが千里線の交差点の駅。
下北沢とは対照的な対応。
子供の頃は淡路は物が安い巨大な商店街だとばかり思っていたがこうして大人になってみると大したことはない。
松屋の隣には別のうどん屋。
これも関西ならではでは?
うどん屋乱立。無秩序のまんま。
こういういい加減な街、好きだなあ。
なんとなく東京の下北沢を彷彿させる。ここが今度高架化になって下に道路を通すとか。
新世界、十三のような町淡路。
北千住的なぺたぺたな街。
店主が言う。「この辺はビルが低いし、サラリーマンがおらん。さえん町なんでみんな出ていく」と寂しそうだった。
「大阪で生まれた女」のメロディーがわが脳裏を昼間から掠めていく。
淡路。少年の頃から散髪なんかで世話になった。母は物価が安いと用事のついでに買い物をした町。それが淡路。
道路なんか通してほしくない。
そこが下北沢との差かなあ。
昔のように清濁併せのむ淡路。ヤクザがウロウロしている淡路であってほしい、千里ニュータウンのおぼっちゃまは恐怖の館淡路がクリーンになっていくのが寂しくってしょうがなかった。
これってイケナイ感情なのかなあ? なんてふと思ったりした。