私のコンチェルトには、なぜか第四楽章がある。
(いいかげん、アンコールということで許してね)


そう、神谷町のド迫力??中南米マガジンの金安編集長を囲んで一杯やって、すっかりいい気になった。
そんでもってのところ、帰りはなんと丸の内線で某出版社の美人社員と中野坂上まで盛り上がった。
島田洋七氏顔負けのマシンガントークで一方的にしゃべっていたような気がする。
中南米マガジンとこのブログのこと。

で、ある。


丸の内線には鬼門がある。
中野坂上だ。

ここでよく行き先の違う電車に乗ってしまう。トホホである。

普段から交通事情には詳しい、と自負しているんだが、東京でもここだけは別。

ある意味、酔っ払って寝過ごすより、ショックは大きい。


三本に一本くらいの割合で中野富士見町行きになるのだ。
枝分かれして、別の方向に行ってしまう。

ラッシュが終わり、車庫にしまう関係であろう。

これがはなはだ酔っ払い、おしゃべり好きのバカタレには鬼門なのだ。


だいたい、1/3というのが中途半端なのである。
1/2だったらもっと気をつける。
1/4だったらメッタにあたらない。


数ヶ月前も食らったのである。
中野坂上で書店の店長さんと一杯やって、出版社の友人と帰る時のこと。

友人「おれ、丸の内線よくわかんない、荻窪に帰りたいんだけど」
オレ 偉そうに「ああ、ここで荻窪行きで一本だよ、大丈夫、大丈夫??」
で、ふたりとも出版の野球の話をしながら乗った。

で、次の新中野が私の降りる駅、のはずだった。

オレ「じゃあなあ」と友人に声かけた。
降りてみてはじめて、気が付いた。


なにやら駅の風景が違う。
「えっ!?!?」というのが最初のデンキ。
映画(本)「メトロに乗って」に私もはまったのか??

タイムスリップしたの??
頭の中は??????? だった。

地下鉄(メトロ)に乗って/浅田 次郎
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そう、駅の文字は「中野新橋」。

再び車内に戻り、友人を無理やり引っ張り出した。

オレ「ちっ、ちがうぞ!」
   「すっすまん」
   「アレだけ行っといて間違えた」
友人「ははははは」


私の性格を知っているのだろう。あきれて怒りもしない。


で、きびすを返して、反対ホームに行って、中野坂上まで戻る。
で、きた電車にまた乗った。
またおしゃべりして。

でまた……。


失意のどん底である。

戻って反射的に乗った電車はまたしても「中野富士見町行き」……。



そして、今日。
その美人氏と「じゃあなあ」と中野坂上で別れた。
でもって、それはまたしても「中野富士見町行き」だった。
ということは、美人氏も間違えたことになる。


あああ、ショック。これもダブルショック。

で、次の中野新橋でまた、反対方向に。
で、中野坂上に戻る。


「今度めは」と、行き先を確認。
またしても「中野富士見町行き」。

なんだか、はらわたが煮えくり返ってきた。


またはめようとしてやがる。


そうか。戻るタイミングでちょうど来てしまうのか。


思わず、ホームでうずくまってしまった。
先日のことを思い出したのだ。
突如、ロダンの「考える人」およびサッカーのビスマルク方面の「祈りの人」になった。


そして、「あああ、そうだったのか」
中野坂上にはゴキブリホイホイ的循環システム


があるのだ。
「おっ恐ろしい世の中だ」と嘆きながら、


[ふらぁーーリぃー]とまた乗ってしまった。



「ぷ、ぬぅーーーーー」という丸の内線特有のまぬけな発車ベルがなる。

と、ここで気が付いた、正気に戻った。

また乗っている自分に気が付いた。


「いかん、いかん」と急いで降りた。


で、ふと思った。

シーラカンスは巨大魚である。進化しない古代魚である。
学習能力がない、という点では私もシーラカンスかもしれない。

ツクヅクそう思った。


おっしまい!