小林鷹之 オフィシャルブログ Powered by Ameba -80ページ目

改正臓器移植法の施行

みなさん、こんばんは。
こばやし鷹之です。


三連休の初日、関東地方は天気が良かったですね。
いかが過ごされましたか?
私は、古びた軽自動車を一人で運転しながら地元を回っていました。
畦道を走っていて田んぼに落ちそうになった時は、冷や汗。
ということで(?)、今日も汗だくでした。


汗だくになりながら、とある農家に到着。
おばあちゃんとご自宅でお話させていただきました。
おばあちゃんは立つのもやっとでしたが、現役の農業ウーマン。


「今日は梅雨明けですね。夏も本番なので大変ですね」


と言ったら、


「梅雨が明けて田んぼ見に行ったら、(腕を広げながら)こーんなに育っていたよ。
年もとったから、本当はもう米作りをやめようと思ったけど、今年はやっぱりやろうと思ってねえ。
わたしゃあ、この土地に愛着があってなあ。」


おばあちゃんの手は少しゴツゴツしてました。
そんな、おばあちゃんが、


「背もたけえし、わけえなあ。
あんたみたいな、わけえもんが自民党から出てくれるんだったら、わしゃ応援するよ」


おばあちゃんの気持ちを受け止めて、その期待に応えられる人間になりたいと思いました。




さて、今日は、改正臓器移植法の施行日です。

改正前と後の最大の違いは、
改正後は15歳以下であっても、家族の同意があれば、臓器移植を実施できるという点です。

小説兼映画の『闇の子供たち』 で描写されたように、子どもの臓器移植の道が一切開かれなければ、アンダーグラウンドの世界で、違法かつ人道に反した臓器売買・人身売買ビジネスが跋扈するだけです。
したがって、一定の条件のもとで、子どもの臓器移植の道が開かれたということは、選択肢が増えたという意味で評価すべきことだと思います。



しかしながら、自分が実際に子どもを持つと、非常に複雑に感じてしまうのは否定できません。
身勝手なもので、もし自分の子どもが臓器提供を受ける側であれば、今回の法律施行を何の迷いもなく肯定的に評価するでしょう。
でも、逆の立場、すなわち、自分の子どもが脳死状態になって、臓器提供を「できる」立場になった場合、果たして親である自分はその決断を下すことができるだろうか。
極めて疑問に思えてしまうんです。



今、目の前のバウンサー(ゆりかご)に乗って、ほにゃらほにゃらと娘が話しかけてきています。
この娘が、仮に何らかの事件で脳死状態に陥ったとします。
同じ年頃の子どもたちの中には、きれいな臓器の提供を受けられれば、更なる人生の時間を与えられる子達がたくさんいます。そして、そのことを頭では分かっている。
でも、自分の娘の体がまだあったかい状態で、


「体を切り刻んで臓器を提供しても良いですよ」


と自分は言えるのか、かなり疑問です。
一分、一秒でも、この子と一緒に時間を過ごしたい。
そう思うのが親の素直な気持ちなんじゃないかと思えてならないんです。

勿論、他の子どもの体の中で、自分の子どもも生きていると思えればいいのでしょうが、私はそう簡単には割り切れない気がしています。



子どもが生まれる前は、もう少し割り切れるような気がしてました。
立場が変わると考え方・感じ方も変わるんですね。

未熟だな、そう言われれば否定できません。

しかし同時に、色々な立場を理解しようとする姿勢が政治家には求められているとも思います。
そしてその結果、解が存在しないと感じる方程式であっても、解を捻り出すべく悩み続ける姿勢、これも求められているんだと思います。

この問題に限らず、今の世の中に山積する難しい問題から逃げることなく、しっかりと悩み続けていきたいと思いました。






鷹之ブログ


達磨の名産地、群馬出身の同志が送ってくれました。

「目標達成、祈当選完遂」

大きな勇気をもらいますね。

頑張ります!

災害対策

みなさん、こんばんは。
小林鷹之です。


今晩は所用のため上京したのですが、帰りの東葉高速の車内ではみなさんぐっすり。
当然といえば当然なんですけど、八千代から東京に勤務される方は、東京在住者よりも朝早い
電車に乗らなければならず、帰りは同じ時刻に退社しても帰宅時間は遅くなります。
お疲れになるのも当然ですよね。
しかも金曜日、疲れが相当溜まってるはず。
家で待っているご家族のために頑張られている姿に敬服です。
一週間お疲れさまでした。


さて、現在西日本を中心に豪雨の被害が相次いでいます。
亡くなられた方もいらっしゃるとのことで、心からご冥福をお祈りします。


ここ千葉県北西部も、自然災害という意味では脆弱です。
幸いこの辺りは、最近は大きな自然災害が生じていませんが、
だからこそ、対策が急務であると私は思います。

いざという時のノウハウの蓄積が無い。


勿論、行政サイドには災害時のマニュアルというのはあるはずですが(無いと困ります)、
それが住民の意識に浸透していなければ意味がありません。
とりわけ、豪雨による災害のように、事前にある程度準備しうるものとは違い、何の予告も無く突然やってくる地震の場合はなおさらです。

八千代、習志野、花見川のエリアには、老朽化した建物が数多く存在します。

多くの人命が懸かる問題だけに、災害対策は、政治に携わる者として最も重きを置くべき課題のひとつです。
ちなみに、党の支部長公募にあたっての書類審査においても、党として今後進めていくべき課題として、私はあえて「災害対策」を挙げました。

平常時は国民の関心事ではないために、政策のプライオリティが下がりがちです。
しかし、こういう課題を平時にきちんと検討・準備しておけるようにプライオリティを上げることも、政治に課せられた使命であると考えます。


それではみなさん、充実した3連休をお過ごしください!







国会議員の定数削減

みなさん、今日も一日お疲れさまでした。

小林鷹之です。


蒸し暑い日が続きますが、
仕事を終えた後のビールが
最高においしい季節ですね。
一日の頑張りが報われる瞬間ですよね。

さて、最近、国会議員の定数削減がよく話題に上っています。
今日はこれについて私見を述べたいと思います。
最近よく聞く議論は、
「消費税率を引き上げるのであれば、まずは国会議員自ら身を切れ」
というものです。
私は、後で述べるように、議員定数を削減することには賛成です。
しかし、本質的な議論なくして、ある種の感情論だけで議論を押し進めるのは適当ではないと思っています。
何故なら、そもそも国会議員は国民の代弁者として奉仕するわけですから、もし、必要以上に議員定数を削減するとすれば、それは我々国民に跳ね返ってくるからです。

だから、まずは、

「国民のニーズを満たすために国会議員はそもそも何人必要なのか」

という議論があるべきではないでしょうか。

勿論、私たち国民の間に溜まったある種の不満を一時的に放出することには役立ちますし、それが意味の無いことだとは思いませんが、それ以上の意義はありません。





この点を踏まえた上で、私は、現行の衆議院480人、参議院242人は多過ぎると考えます。

一つの比較対象となりうるのはアメリカです。

ざっくり言えば、アメリカの人口は日本の約3倍。

そのアメリカの下院(衆議院に相当)は435名、上院(参議院に相当)はたったの100名です。

日本の衆議院や参議院よりも少ない。

人口一人当たりの割合で見れば、日本がアメリカに比べてかなり多いということは一目瞭然です。





それに加えて、
日本の国会議員一人当たりのアウトプット(本来立法府に求められる法案の提出数や質)はあまりにも低過ぎる。
議員が立法するのは当たり前なのに、殆ど例がないから「議員立法」という言葉までが使われる始末。
また、どこかの党のように、多数の新人議員が一人の独裁者の投票マシーンと化すのであれば、別に誰が国会議員であっても良いわけです。
もっと言ってしまえば、このような意識の低い国会議員が存在する意義はないと私は思います。
立法府は国権の最高機関であるとされる以上、
そこで働く各国会議員は、それ相応のアウトプットが求められて然るべきじゃないでしょうか。


但し、今の国会議員によるアウトプット不足の原因を、議員の資質だけに求めるのも、やや乱暴に過ぎると思います。
各議員をサポートする人間、とりわけ政策担当秘書の数が絶対的に足りないんです
アメリカでは、下院議員であれば20名弱、上院議員であれば4050名もの政策秘書が国費で賄われます。
各議員をヘッドとした「チーム」が組めるわけです。
首席補佐官を筆頭に、立法担当、政務担当、広報担当等々、複数の担当に分かれていて、その担当ごとにラインがある。
だから、チームとして法案をいくらでも作成できますし、議員本人へのその他のサポートも日本とは比較にならないほど充実しています。
議員同士の議論もとても充実している。




このような観点から、私の考えを簡潔に述べれば次の通りです。




○ 議員定数は半減

→ 衆議院240名、参議院121名。なお、比例制度の存否や選挙区の区分けの扱いなど、詳細な制度設計については議論を尽くす必要ありますが、「比例復活」という制度は明らかにおかしいと考えます。



○ 半減して浮いた財源を、残りの議員へのサポート(公設秘書の増員)に充当


→ 議員関連予算の総枠は維持。各種手当てを含めると議員一人当たり年間約1億円相当の税金が費消されているので、削減された定数分の当該経費を公設の政策担当秘書の増員に充てれば、現行の公設秘書数3名に加えて、10名以上のスタッフを雇用できます。

以上により、官僚に頼り切りの与党と、人員・情報不足によりただNOとしか言えなかった野党の姿を変え、各議員が自分のチームで法案を作成・提出できる仕組みを設ける。そして、国会を本当の意味での「立法府」へと進化させる。少数精鋭の筋肉質の国会です。






結局、定数や議員歳費だけを削減しても、各国会議員の法案作成能力に変わりがなければ、数が少なくなる分、ますます政治が貧弱になるだけです。また、これにより「節約」される金額も微々たる額でしかありません。



繰り返しになりますが、

国会議員の地位にあることだけを理由に、相応の務めを果たすことなく甘い汁を吸い続ける人たちは、早々に政治の世界を退場するべきだと私も思います。


しかし、同時に、
「国会議員はそもそも何のために存在するのか?」


この点を無視して感情論だけに訴えても、私たち国民のためにはならないと私は考えています。

党内でも、国民視線に立った議論を提起していけるよう頑張ります。


みなさんのご意見も聞かせていただければ幸いです。