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浜岡原発の停止について

こんばんは。

小林鷹之です。


今日はGWの最終日。

とても良い天気でしたので、外出された方も多かったのではないでしょうか。

八千代市から印西市に入ったすぐの所にある北総花の丘公園のそばをたまたま通りがかりましたが、家族連れの方々でとても賑わっていました。

一方で、今日の気温でさえ「暑いなあ・・・」と感じたのも事実。

節電の夏に向けて、気を引き締めていかないといけませんね。


さて、その節電ですが、私たち国民一人ひとりが我慢すれば済む問題であれば良いのですが、企業にとっては大きな問題です。

一昨日の晩に突然なされた総理の記者会見。

中部電力に対して、浜岡原発停止の要請がなされました。

多くの企業関係者は驚きをもって受け止めたと思います。


賛否両論ありますが、どちらの立場をとってもリスクを伴います。そして、そのリスクを比較衡量するのは簡単な作業ではありません。だからこそ、国民の負託を受けた政治家こそが最終的に決断できるし、しなければならない。


菅総理がそれだけの覚悟をもって比較衡量し、今回の停止の決断をしたのであれば、それも一つの在り方かもしれません。

でも、そのプロセスを見ていると私自身はどうしても納得できません。


菅総理や海江田経済産業大臣は、「今後30年以内に87%の確率でM8程度の東海地震が発生する」との説明の一点張り。


しかし、浜岡原発が何故問題になのかと言えば、東海地震で想定される震源がその直下にあるからですが、今回の巨大な地震においても福島原発は緊急停止ができたわけです。

では、津波に対する対策ができてないかと言えば、今回問題になった予備電源や給水ポンプは既に高い場所に移しているわけです。

そうしてもなお停止しなければならない理由を政府には具体的に説明していただきたいと思います。

原発停止がもたらすリスクは無視できないほど大きいのです。


仮に停止するのであれば、今後のエネルギー安全保障に対するスタンスの変更は勿論のこと、原発停止が国民生活や企業活動に与えるネガティブインパクトを十分に説明した上で、それをどの程度、そして、どのように相殺していくのかを具体的に示す責任が政府にはある。

これからの復興を牽引するにあたっては、国民一人ひとりの努力が必要なのは勿論ですが、やはり一番求められるのは企業の活力です。

政治の場当たり的な判断によって、一民間企業の活動に死活的に重要な制約が課され得るとの認識が市場に広まれば、企業やカネは日本から逃避していくことは想像に難くありません。


浜岡原発停止の決断を、総理が軽く下したとは思いません。

色々悩んだのだと思います。

しかし、それが本当に十分に検討し、悩み切った末の判断であったとはどうしても思えません。

みなさんはいかが思われますか?

鯉のぼり

こんにちは。
小林鷹之です。


今日はこどもの日。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?
私にとっては、父親として初めて迎える5月5日。
うちの赤ん坊は男の子ではありませんが、最近になり、ようやく少し立てるようになって、言葉も覚え始めた娘の成長を祝うために、今日はできるだけ娘と一緒にいてあげようと思います。


昔からこどもの日といえば、鯉のぼりが楽しみでした。
風になびく鯉を見ているととてもわくわくした記憶があります。


でも、去年の5月5日が、そんな鯉を見る最後の日になった子供たちがいます。
一週間前の4月28日に、再び東北の被災地に赴きました。
石巻市です。


目的地に向かう途中で、多くの児童が亡くなった石巻市立大川小学校に立ち寄りました。
多くの献花を見て、その日が震災後49日にあたることに気付きました。
108人いた児童のうち、70数名が死亡・行方不明となり、教職員と合わせるとその数は84名にのぼるとのことでした。

大きな揺れの後、津波の襲来に備えて、あるグループは校舎裏の山を登り、別のグループは傍を流れる川にかかる橋(新北上大橋)の方に逃げたとのことでした。
私が目にしたその橋は、立派な橋であるにも拘わらず途中で途切れていて、数百メートル離れたところに流された橋の残骸は、津波の恐ろしさを語るのに余りある光景。
山の方に逃げて何とか命をとりとめた教師の方の中には、津波で流された子供たちに対して申し訳ないとの思いから、命を絶った方もいると伺いました。


既に体をなしていない小学校の跡に、それとなく置かれていた鯉のぼり。
どなたが置いたのかは分かりませんが、無限の可能性を秘めた多くの無辜の命が奪われたことがやり切れなくて仕方ありませんでした。


つい先程、参加させていただいた八千代市の少年野球リーグの閉会式。
多くの少年たちは充実した笑顔でグラウンドに立っていました。
監督・コーチといった指導者の方々や多くの父兄の方々に囲まれて。


八千代の少年たちと大川小学校の少年たちとの間には特段のつながりはありません。
ただ、八千代の少年たちには、本来であれば20年後、30年後に、日本の社会を共に支えていくはずであった同じ年頃の「仲間」たちの分までも、一生懸命に生きて欲しい。
そして、一生懸命に生きる子供たちを、大人たちが一生懸命に支えていかなきゃいけない。
そんな思いを抱かずにはいられませんでした。

ビンラディンの死

こんにちは。
小林鷹之です。

今朝は八千代の新川沿いをジョギングしました。
1ヶ月前はピンク色だった道が新緑の道へと様変わり。
まさに「みどりの日」を実感する朝でした。
今年はGWの休日を夏休みに回す企業も多々あるとのこと。
休暇を取られる方も、仕事をされる方も、有意義な時間を過ごせるといいですね。

さて、ウサマ・ビンラディン氏が米軍によって殺害されてから3日が経ちました。
10年前の夏に初めて渡米し、その直後に生じた9・11のあの事件。
直前の8月下旬にワールド・トレード・センターを訪れていたこと。
テロリスト達が乗り込んだ飛行機が、当時私が住んでいたボストンのローガン空港から飛び立ったこと。
そして、何より、あの日の朝、学校で見たアメリカ人のクラスメート達が泣き叫ぶ姿が今でも脳裏に焼き付いていることから、今回の殺害については、個人的にはようやく一つの区切りがついたと感じる部分があります。

しかし一方で、9・11を契機に大きく構図が変わった国際社会は、あれから10年が経とうとしている今、もはやビンラディンの存在とは関係なく、不可逆的に姿を変え続けています。
テロとの戦いは、これで終わりになったわけではありません。
いや、終わりは無いのかもしれません。

この果てしなき戦いに対して、我が国としてどのように対処していくのか、これを機会に今一度確認する必要があると思います。
私は大きく二つポイントがあると思います。

一つは、テロという極めて卑劣な行為に対して断固たる対応を取り続ける方針を堅持・発信し続けることです。

「スパイ天国」とも揶揄される日本の国内で、北朝鮮の工作員が本気で原子力発電所を狙ったらどうなるか。
今回の震災・津波による影響をも超える被害も想定されます。
テロは解決するものではなく、予防するもの。
テロリストが付け入る隙のない監視体制の構築や情報網の強化を継続していくことが肝要です。

もう一つは、米国をはじめとする西洋諸国とイスラム諸国との融和を可能な範囲で介助することです。

「テロとの戦い」以来、米国政府は、敵視する対象がイスラム諸国ではなくアルカイーダをはじめとするテロリスト・テロ集団であると繰り返し説明してきました。
しかし、アフガン、イラク、あるいはイランへの対応など米国の中東政策は、アラブ諸国においては、反イスラエルの感情も相まって、根強い反米感情を育んできました。
それをテロリストが巧みに利用してきた現実があります。
アラブ諸国では、アルカイーダなどテロリスト集団へのシンパシーはかなり弱くなってきてはいるものの、今後の動向については予断を許さない状況にあります。

そのような中で、我が国としては、まずは自らの地政学的リスクに対処することに主眼を置くのは勿論ですが、中東における政治的な安定に貢献していくことは、世界平和のためだけではなく、自らのエネルギー安全保障の観点からも理に適っています。
排他的な一神教を崇拝する国々の中で、八百万の神を受け入れる土壌のある日本が果たすことができる役割も少なくないと考えます。