長浜曳山まつり(ながはまひきやままつり)2012~その③ | 大井神社大祭総合研究所

大井神社大祭総合研究所

島田大祭? 帯祭? おヽいさんの祭ってなんだろう?
このブログは 『永く万人に愛され続ける大井神社大祭』を
目指して、知らない事を教え合う架空の研究所です。
ただ今、大祭に対する質問も受け付けております!(*´∀`*)

04/15 晴
$大井神社大祭総合研究所

宿を出て「長浜八幡宮」へ向かう。

↓参道の街並み
$大井神社大祭総合研究所

↓商店の店先に飾ってあった曳山の絵?
$大井神社大祭総合研究所

↓これ何だろう? 三本足
$大井神社大祭総合研究所



長浜曳山まつりは、長浜八幡宮の春の祭礼です。

秀吉が長浜に城を築いた時

源義家(藤枝の地名の由来)の「後三年の合戦」の凱旋の様子を現した「太刀渡り」という行列がありました。

秀吉は民にこの行列を行わせ観覧。これが今の長刀組

上が長浜八幡宮のお祭りの始まりといわれています。

↓八幡宮に向かう長刀組の行列の場面
$大井神社大祭総合研究所

$大井神社大祭総合研究所


二㍍近い太刀を携した鎧姿の男子十人が、力士に扮した若衆三十人の先導で八幡宮に渡ります。


その後、秀吉に男の子が誕生。

そのお祝いに長浜の町人に砂金を贈りました。

この砂金を元手に町人たちが曳山を建てて
長浜八幡宮のお祭りに曳きまわしました。

これが「長浜曳山まつり」の始まりといわれています。

その後13基まで曳山が増え

さらにそのヤマの上で子供歌舞伎が演じられるようになります。


クローバー