引き取って来た中に入っていた、もう一つのSLです。


KATO 2027

“C50 〈Nゲージ50周年記念製品〉”


デーブイデーも記念の冊子もちゃんと入ってました。

ビッカビカですよ旦那。


ためらうことなくナンバーも付け、ナックルカプラーへ交換もしております。


日本初の量産形Nゲージは、C50の初代モデルとされておりますが、ではなぜ本線での目立った活躍も見られず入れ換え作業が中心となっていたC50が選ばれたんでしょうか。


実は一応の答えがこの中に載ってます。

この本の67ページから抜粋します。


ところで、何ゆえC50とオハ31だったのでしょうか?

加藤:やはり最初からタンク機じゃ貧弱ですからテンダー機がいいと。テンダー機にしてもC50だったらデフがないし大きさも手頃ではないかと。

名取:加藤さんのC56好きは有名ですが、なぜC56ではなかったのですか?

加藤:テンダーに欠き取りがあるのでモーターを収納できないというのもあったんですかねえ。

名取:オハ31は?

加藤:やはり最初が貨車では何ですし、どなたかか

らのアドバイスもいただいて17m客車のスタンダードにしようと。


割とおおらかな理由であったようです。


ただ、個人的には別に理由があったんやないかと邪推しています。


と言うのも、テンダーにモーターを収めることでボイラー部分を細めに作れてデフが装着されないシンプルなスタイル。

丸みを帯びたドーム形状。

そしてスポークが抜けた動輪が目立つ足周り。


国内向けならば黒いままで良いんですが、このボデーや動輪を赤やら緑やらに塗って、なんちゃって外国形機関車として欧米へと輸出することを考えていたのではないでしょうか?


そもそもはアメリカの貿易商の方に勧められてHOより小さい模型ってのに着手なさってますしね。


事実、後年には西武のE851形をアムトラックカラーに塗って販売していたメーカーです。

先ほども述べましたが、あくまでワタクシの邪推です。


真実は闇の中ですね。


Swallowtail