先日、漫画家の松本零士氏の訃報が報じられました。
氏の安らかな眠りをお祈りするとともに、心よりお悔やみ申し上げます。
実はほんの少し前、CSで“さよなら 銀河鉄道999”を拝見したところでして、直後に舞い込んだ訃報に少なからず動揺してしまいました。
氏の代表作と云えばもちろん“宇宙海賊キャプテンハーロック”や“クィーンエメラルダス”、近年ですとダフトパンクとのコラボレーションも話題になっておりました。
しかしながら、我々鉄分多めのかつての男子たちにとってはやはり“銀河鉄道999”が一番馴染み深いですね。
で、ここ数日頭の中をぐるぐると駆け巡っていることがございます。
「結局“999”のモデルって何なん?」
どう見てもC62でしょうとおっしゃるそこの御仁。
では何号機がモデルなんでしょう?
劇中では50号機と48号機とされておりましたが、まず50号機なんてものは存在しませんし、48号機にしても写真でしか参照出来なかったはずです。
この作品が作られた頃、実際に目にすることの出来たC62ってーのは今と同じく1・2・3・17・26の五機のみで、動いたのは2号機だけのはずです。
煙の流れ方や動輪の動きなんかは当時も梅小路に居た2号機を取材して参照したらしいんですが、素直に2号機がモデルと考えて大丈夫なんでしょうか?
と言うのも、どうもシリンダーの形状が特徴的な2号機のそれとは違う感じがするんですよね〜。
実は明確に特定機を模したものではないとのお話を耳にしたこともあるんですが、デフに“999”と入れたりするのは2号機のつばめマークからインスパイアされたとしてもおかしくはないでしょう。
また999の客車部分については、運行が開始された当初の“安芸”がモデルやったんちゃうかな?と疑っています。
松本零士氏が上京なさる際に乗った列車の記憶もモチーフとなっていると仰っていたようで、その時期に福岡から鈍行で東に進み、広島から東京まで走っていた“安芸”に乗り換えていたとしても不思議ではございません。
どうなんでしょうね?
どうせなら福岡から直通の列車に乗ったほうが効率は良いんですけどね〜。
様々な証言を積み上げれば真実は浮かび上がるんでしょうが、本当の意味での“真相”が世に出ることは永久に無くなってしまいました…。
