この本の感想の2日目です。


これは広く知られた事ですし、この本の中でも当たり前のように触れられている事ですが、先に鉄道を通して街づくりをして利用者を“作り出す”阪急のやり方ってーのは私鉄経営の教科書と呼ばれることがあります。


お叱りを受けるかもしれませんが、阪急形の私鉄は実質的にはゼネコンであり不動産屋さんであると考えても差し支えが無いのかも知れません。


こんな書き方をすると少しキナ臭いかも知れませんね。

(※画像はイメージです)


さてさて何故阪急が別格なんでしょう?


個人的にはホスピタリティは京阪の方が上だと思っています。

ただし、10年以上前の感想ですので最近のことは存じ上げません。


その京阪から戦後のドサクサに紛れて新京阪をぶん取ったり、最大のライバルであったはずの阪神を最終的には我がものとしてみたりする腕力の強さが“別格さ”を醸し出す要因でしょうか?


いやいや、それぞれにそれぞれの、その時々の事情がございますから、阪急ばかりを真っ黒く表現するのはフェアではございませんね。


実はこの本の中で印象に残ったエピソードの中に、阪急百貨店の大食堂で一時期問題になった“ソーライス”のお話がございます。


かの有名な大食堂の創業当時、一皿25銭のカレーライスが食べられない客が一皿5銭のライスを頼みテーブルのウスターソースをかける“ソーライス”だけを食べて帰ってしまうため、利益が上がらずいつしか“ソーライスお断り”の貼り紙を出すことに。


しかしながら小林一三その人が、“ライスだけのお客様歓迎”の表記に貼り替え、自ら福神漬けを配って回ったなんて逸話が紹介されております。


逸翁曰く、


「ソーライスしか頼まない若者も、とりあえずここに来てはくれている。将来豊かになった時に我々に利益を還元してくれるのも彼らなのだから大事にしなさい。」


要約するとこんな事をおっしゃったそうです。


同じような事を話していらっしゃったのが元阪急ブレーブスの福本豊氏。


「将来家族を連れて球場に来てくれるのがこの子供たちやねんから、50人でも100人でもちゃんとサイン書きましたよね。」


阪神唯一の日本一監督である吉田義男氏と並ぶ“関西の人間国宝”と呼ぶべきもっさんの一言は、小林一三翁と同じ思想から放たれております。


恐らく阪急グループの一人一人に植え付けられているであろうイデオロギー。


予め存在する都市と都市を結んで人を運ぶのではなく、沿線の町を“創り”“育てる”道を選んだ阪急の周囲には、それに相応な“品”と“格”を備えた人が多く住み着いたと考えるべきなんでしょう。


もちろん例外はありますよ♪


阪急沿線の“別格さ”を考える時に、


“情けは人の為ならず”

“類は友を呼ぶ”


と云う二つのことわざを思い出せば、自然と答えが出るのかも知れませんね。


Swallowtail的スターターセット。

Swallowtail