だから何?と言われればそれまでなんですが。
今は何でもかんでもWikipediaに載ってるんですが、まさかこんなにピンポイントに載ってるとは思いませんでした。
もう20年と少し前に鬼籍に入ったウチの母親も、長崎で被爆した1人でした。
一応その当時の話は聞いたこともあるのですが、母親自身が5歳の時の話ですので、かなり断片的な記憶しか無かったかと思います。
いくつか印象的なワードとしては
- B29がポツンと現れて何かを落とした。
- 何だろうと思った時には居間から庭に吹っ飛んでいた。
- (母の)母親だか親族だかと合流するために、友達と手を繋いで死体の山の中を歩いた。
こんな感じです。
結局ウチの母は60近くで大腸ガンのためこの世を去ったのですが、原爆の被曝による後遺症と云うよりは、不摂生により早死にしたと云う方が正解だと思います。
原爆手帳を持っていたからなのか、医者にはやたらと行くクセに、医者の言う事をちゃんと聞いていたか?と言われれば甚だ疑問です。
今日の記事で、戦争反対とか核兵器反対とか、そんな陳腐な議論をする気はございません。
思うに私の死生観も、この母親の姿勢に少なからざる影響を受けているように思います。
コレを書いているワタクシも、読んでくださっている貴方様も、これから50年生きるかもしれませんし、2秒後に隕石が落ちて来て死ぬかもしれません。
とかく不公平な全ての人類にとって、唯一平等に訪れる“死”の瞬間。
その瞬間に、悔いなく散って行きたいと思っております。
なかなかその境地には至りませんが(笑)
少なくとも下の娘が成人して自立するまでは死ねませんので、本当にいつ旅立っても良いと言えるのはそれ以降のお話なんですけどね。
大きいことでも小さなことでも、やりたい事はやっとかな後悔しますしね〜♪
小さな事から始めるならば、とりあえず模型にシールを貼るところから始めましょうかね〜。