あの稲荷町が・・・ | 春風亭小朝オフィシャルブログ Powered by Ameba

あの稲荷町が・・・

おはよう晴れ



我々の世界で稲荷町といえば先代の正蔵師匠ですが



先日、小遊三兄さんから正蔵師匠の日記読んだ?と訊かれたんですけど、その存在を知らなかったので早速検索してみたところ二種類の本があることがわかりました



先ず読みはじめたのが、八代目正蔵戦中日記という本です



その中には僕の知らない師匠の姿が



たとえばこんな感じ



俺という人は、他人の悪口を一寸云いたがるクセがある、これがないと満点に近い男なのだがと自分でも思う



これを読んで吹きだしました😆そうかと思えば



おのれの芸にヒケメを感じるわるいくせなり、もっと堂々とやるべきだ、なんて書いてある



😄へぇ、そうなんだ



大阪で二代目の三木助師匠から<死ぬなら今>と<蛸坊主>を3日かけて習ったとか、その蛸坊主が稽古不足のため高座にかけられなかったとか



江戸館でお客が蝦蟇の油を注文した。こうなると出来はよいにきまっている、まったく金銭づくではないダイゴミなのだ。芸人のありがたさをつくづく感じる



こういうところは素直な気持ちがあらわれていて面白いなぁ😁



他の日の日記には、楽屋に今輔がいたが実に不愉快きわまる存在だ



出ました、悪口😆



研究会<上方芝居>を上演する、正岡氏が褒めてくれた、ちょっとうれしい



正岡君から過褒のハガキを貰って非常な喜びだ。他の評なんてどうでもいいと思う



わかるなぁ、この気持ち。99人に貶されてもこの人が認めてくれたらオッケーみたいなことがありますからね



師匠の日記を読むと戦時中の寄席の様子やどれくらいの給金で働いていたのかがわかりますが、終戦を迎えた日の日記にはこう記されていました



まことに歴史的な一ッ時であった。頭の重く痛く悪夢より覚めたる如し。ネジのゆるみしように体まただるし。心の一隅にては生命の安全を欣んでいるのではあるまいか。吾れながら浅間敷と想う。



僕が入門した頃、楽屋では難しい顔をしてほとんど喋らなかった師匠なので、どんな方なのかなと思っていたのですが、日記を読んで少し安心しました😄



てなことで、本日はこれから落語会をやってきま~す🚙💨



Instagramには美味しいものを載せておいたので見てね。