そして、翌年の平成6年の春までにぶどうの棚を張らなければならなかったのですが、


全体では43アールのぶどう棚を張る予定が、

どんなに頑張っても作業が追い付かず、


その半分の面積しか苗を植えれる準備が出来ず、


半分は断念することとなりました!



若さで何が何でもと思っていましたが、


ま~面積が大きいと言うのは大変なことだと改めて感じました~~



で、その6年の4月にぶどう棚を21アール強の面積を建てて


そして、そこへ30センチほどのぶどう(ピオーネ)の苗木を植えるところまでは漕ぎ着けました。



その、苗を植え付けるのもすべて、JAや県の方々に指導を仰ぎながら苗を植え付けて行くことができ、後はその苗を肥料を与えたり、予防をしたりして育てるだけとなりました。



しかし、そこからが、新米の私にとっては試練となりました!
















農業を始めて最初の1年目は前回から書いたように、


だた、がむしゃらの日々でした。。。。



全然気分的にも余裕は無くて、


人と話をしていても落ち着かず、


何か常に追われている感じの日常でした~!!!



農業の方は、最初は開墾した畑の石拾いの連続で、


ただひたすらに、小さな石から大きな石まで・・・


60アールの石を拾っていました!



それが平成5年の秋で、翌年の春にはぶどうの棚を張らないといけないかったという、タイムリミットもありました!


ただ、雨の日も多く、作業は難航しましたし、


畑のコンディションも悪く思ったよりも作業は進みませんでした。



その石拾いが5年から6年の年明けに終わったので、


それからは、ぶどうの苗を植える準備になりました。


まず、60アールの畑全体をトラクターやユンボなどで耕し、


そして、そのあと、ぶどうの苗を植えるところへ畝を作って行きました。



その畝を作るのは、機械よりも手作業が多く、


重労働が続きましたが、若いと言うものは良いことです。



どんなに働いても体が回復しますね~~~



そして、最初の年はあれもこれもとすることがいっぱいの年でした!!



次に続く











その、朝、昼、晩、そして夜中と・・・



一日24時間あるなかで、20時間ほど働いていた訳ですが、



それでも、仕事が全く追いつかず、


目標に向かってただひたすら一心不乱に頑張るだけの毎日でした~!




その毎日は、


喜びも無く、


いつ形になるのか分からない、


いつか来る喜びに向かって、


遮二無二になって夢を追う日々で、


何かを感じて?


言うものは無かったかもしれません~??




その毎日は


夜中に家の建築をしていたのですが、


その時は良く立ったままで、


金槌を持ったまま寝てました!



しかし、若かったのでしょう~



意外と体は無理が利くものです。



数年はそれで体も持ちました!!







それから


引越しもしない間に、農地や家、仕事が見つかって

順調に事が進んで行った訳です。



そして、後は引越しをして移住するだけになったので、


会社を辞めて引越しました!!




その後、建築途中の家で風呂も台所もない家に住み、


夜中に建築をしながら


昼間はJAで働いて


そして、早朝と夕方には畑で作業をしてました。




そうなんです~


一日に3つの仕事があり


いくら頑張っても頑張っても、


とても追いつかない状態でした~



毎日、毎日が追われるような日々でした・・・・・・・












農地の取得だけ終わりではなかったのです。


その次に、家の確保や就農する地域での仕事でした!



農地が決まってから、その後に平行して次は家や仕事を探さなければならなかったのですが、



地元の方の協力もあって、それらもスムーズに決まって行きました。




まず、家ですが、農地の近くで建築途中の家があって、


その家を買い取ることにしました。



また、仕事は地元のJAで働かせていただくことになり、


それらも課題も解消して、あとは前に進むだけとなりました~




物事が決まる時は、流れは速いものです!!



いずれにしても、すんなりと決まって行ったのです~!