「2011年1月14日」の日記です
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
今回はとっても有名な光圀公を
ふつうに紹介しても
知ってるょ
ってなことになるので
みんなに注いだ『愛』目線でご紹介しますm(_ _)m
<家臣、息子への愛>
藩主を引退する退任のあいさつで
「私は藩主生活30年に及んだが、民を憐れみ、慈しむことも十分に果たしえなかったのに、おまえたちは困窮し、生活も楽でない中、一人として不平がましいことをいうものもなく、奉公に専念してくれたことはまことにうれしく、終生忘れることができない。
主君は舟、家臣は水といえる。おだやかな水の上には舟はうかぶことができるが、水が荒れると舟を覆すことにもなるもの。後継ぎの綱條も年若いから行く末どうかよろしく頼みたい」
と語ったそうです
このあいさつを聞いた家臣達はみな涙を流し、なかなか席をたてなかったという
<民への愛>
西山荘での隠居生活は10年間。
その間質素な生活に明けくれ
農民と膝をつき合わせて語り合い
それはドラマ「水戸黄門」そのもの。
領内を巡視するときは
仕事のじゃまにならないように
百姓に道をよけさせるようなことはしない。
那須に旅に出たときは
イノシシや鹿が作物を荒らして困っていると聞けば
鉄砲を与え
「幕府に何かいわれたら西山の隠居がつかわせたと申せ」
といい、安心して鉄砲を使えるようにしたとか。
西山荘では敷居をはずして百姓と語り合ったり
きれい事ばかり並べる奉行を怒ったりと
他藩の百姓から
「水戸の百姓ならどんなに幸せだったか」といわせるほどの
愛を捧げておりました。
<妻への愛>
光圀公が27才の時、17才の尋子さんを妻に迎えますが
21才という若さで亡くなってしまいます。
その際
「谷の鶯百たびさえずれど
我はいう春なしと
去年の今日は対座して盃をあげ…」
という詩を贈っています。
去年の今日は元気にたのしく新年を祝ったのに
今年の今日は一人寂しく仏壇に向かってお線香をたいているよ。
といっているのです
ふつうに紹介しても
知ってるょ
ってなことになるので
みんなに注いだ『愛』目線でご紹介しますm(_ _)m
<家臣、息子への愛>
藩主を引退する退任のあいさつで
「私は藩主生活30年に及んだが、民を憐れみ、慈しむことも十分に果たしえなかったのに、おまえたちは困窮し、生活も楽でない中、一人として不平がましいことをいうものもなく、奉公に専念してくれたことはまことにうれしく、終生忘れることができない。
主君は舟、家臣は水といえる。おだやかな水の上には舟はうかぶことができるが、水が荒れると舟を覆すことにもなるもの。後継ぎの綱條も年若いから行く末どうかよろしく頼みたい」
と語ったそうです
このあいさつを聞いた家臣達はみな涙を流し、なかなか席をたてなかったという
<民への愛>
西山荘での隠居生活は10年間。
その間質素な生活に明けくれ
農民と膝をつき合わせて語り合い
それはドラマ「水戸黄門」そのもの。
領内を巡視するときは
仕事のじゃまにならないように
百姓に道をよけさせるようなことはしない。
那須に旅に出たときは
イノシシや鹿が作物を荒らして困っていると聞けば
鉄砲を与え
「幕府に何かいわれたら西山の隠居がつかわせたと申せ」
といい、安心して鉄砲を使えるようにしたとか。
西山荘では敷居をはずして百姓と語り合ったり
きれい事ばかり並べる奉行を怒ったりと
他藩の百姓から
「水戸の百姓ならどんなに幸せだったか」といわせるほどの
愛を捧げておりました。
<妻への愛>
光圀公が27才の時、17才の尋子さんを妻に迎えますが
21才という若さで亡くなってしまいます。
その際
「谷の鶯百たびさえずれど
我はいう春なしと
去年の今日は対座して盃をあげ…」
という詩を贈っています。
去年の今日は元気にたのしく新年を祝ったのに
今年の今日は一人寂しく仏壇に向かってお線香をたいているよ。
といっているのです
<師への愛>
光圀公は若いとき不良少年としてとても有名でした。
7才で夜の首切り場から罪人の首をもってきたり
嵐のあとの荒れた川を泳いでみたり
とんでもない服装で城下を遊びあるいたりと
藩主として…というか人として道をはずれていましたね…
そんな不良少年光圀の教育係として任命されたのが
「小野角右衛門言員」さんです。
彼は誰しもがお手上げだった光圀公に
あきらめることなく何度も何度も藩主としての道をさとし
みんなに愛される水戸黄門様の基礎を築いていきました。
光圀が17才の時、小野さんは職をとかれ
光圀18才の時、史記を読んで一大発起します。
それから10年後、
小野さんが公職を退き水戸に帰る際
光圀公はこんなはなむけの詩を贈っています。
「別れに先じて待つことなす急なり。
帰期、幾許の時ならん」
お別れする前からまた再び会う日が待ちどうしく思います
今度帰ってこられる日はいつなのでしょう
どれだけの時を待てばよいのでしょう…
まるで彼女にでも送ったかのような詩ですね
しかしながらそんな光圀の思いは叶わず
小野先生は水戸に帰ってまもなくして12月6日72才という生涯を終えるのです。
光圀に再び会うことなく…
それから45年後光圀公は73才で生涯を終えます
それは小野先生が亡くなった日と同じ12月6日でした
運命だったのでしょうか…
長々おつき合いありがとうございましたm(_ _)m
4つの愛から光圀公を見ると水戸黄門様が何十年もドラマとして続く理由がわかる気がしますね