茨城の偉人7 | 歴史嫌いがつくる歴史ブログ

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小中高と社会のテストは赤点・・・そんな私が歴史にはまりなんとなく歴史についてつづってるブログです☆水戸周辺情報もちょいちょいご紹介してます。水戸藩仲間募集です♪

「2010年12月20日」の日記です



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今回は藤田家3代の最後


「藤田小四郎」さんをご紹介します。



小四郎さんはいままでご紹介した

「藤田東湖さん」のお子さんで


名の通り4男です。


おじいちゃんはもちろん

「藤田幽谷さん」



すごい家系に育ったので


もちろん小四郎さんも


攘夷派です。



小四郎さんは天狗党を挙兵した人物で


明治維新の大事「倒幕」というものの


最初の最初の仕掛け人とも云うべき人物です。




いろんな本で小四郎さんのことを読んで

一本気の人だなぁと思いました。


長州藩の桂小五郎さんたちと手を組んで


尊皇攘夷を実践的に行動に移すんですが



最初の計画では


水戸藩がおとりになって挙兵!


そこへ長州藩が一挙に挙兵して京都を制圧

天下の形勢を一気に逆転させようというものでした



しかしながら


実行直前で長州藩が京都から追い出されてしまいます。


これは八月十八日の政変といって


会津や長年長州と仲の悪かった薩摩などの

公武合体派
(朝廷と幕府が手を取り合って仲良くやっていこうっていう考え)




尊皇攘夷派
(朝廷だけをトップにおいておこういう考え)

の長州藩を政治の中枢から追い出した政変です。






さぁ~話が難しくなってきてしまいましたが



ここで考えてみましょう!


実行しようとしていた矢先


仲間の長州藩が動けなくなってしまいました



あなたが小四郎さんと同じ立場ならどうしますか?



私ならきっと中止でしょうね!

だって仲間いなくなっちゃったんだから



でも小四郎さんは


「自分たちがやらねば!」と

逆に闘志を燃やし


他藩に先駆けて尊皇を実行することの使命に


心を燃やしついに筑波山に挙兵をするのです。









ここからが涙なしでは語れない


「天狗党の乱」に突入



ながーくなっちゃうのでそれはまた


個人的に・・・









最終的には



朝廷を信じ自分たちの思いを



幕府の慶喜公から朝廷に伝えて頂こうと


京を目指すのですが



幕府側の天狗党追討群の指揮をとっているのが


慶喜だと知り



ついに降伏するのでした。


この一件で小四郎さんは打ち首


24才という若さでなくなります。



「かねてより 思いひそめし言の葉を


今日大君に 告げてうれしき」




辞世の句でも


自分の思いを朝廷に伝えられてうれしかった


と云っています。



祖父から伝えられてきた思いを


ただそれだけを伝えたくて…











天狗党は300人以上が処刑されました


武田耕雲斉の家は



3才の幼子まで打ち首に処せられました





そのあまりにもひどい仕打ちに


後にこの話をきいた大久保利通が

「実に聞くに堪えざる次第なり。


これをもって幕府の滅亡の表れと察せられ候」


と日記に書いていたそうです。




傾きだした幕府はその焦りから


その焦りの根本を壊滅させたかったのでしょう


しかしながら

水戸藩がつけた火は


弱った幕府には消せないものとなっていました。


そして大きな明治維新へとつながっていくのでした。