改めて読み返すと自分でも勉強になりますね
茨城の偉人3は「2010年11月17日」に書いたものです。
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今日は「木村謙次」についてお話しいたします。
謙次は水府村に生まれました。
小さい頃から読書が好きで
そのころは東金砂山東清寺の僧に
いろいろ学んでいたとか
近所では「神童」だといわれていたんだって。
金砂神社といえば
大学時代大きなお祭りがあって
72年に一度とかのお祭りで
もうみれないかもと部活帰りみたっけなぁ
それはさておき…
謙次はそれから立原翆軒の門下生となり
その翆軒のたのみで
蝦夷に探検にいきます。
択捉に「大日本恵登呂府」という標柱があるかと思いますが
今のは昭和5年に再建されたもので
石でできていますが
最初の木でできていた標柱は
この謙治が心を込めて書いたものだとか
一緒に行った近藤重蔵ばかり取り上げられていることが多いけど
字を書いたのは謙次さんなんですよ!!!!!
謙次は水府村に生まれました。
小さい頃から読書が好きで
そのころは東金砂山東清寺の僧に
いろいろ学んでいたとか
近所では「神童」だといわれていたんだって。
金砂神社といえば
大学時代大きなお祭りがあって
72年に一度とかのお祭りで
もうみれないかもと部活帰りみたっけなぁ
それはさておき…
謙次はそれから立原翆軒の門下生となり
その翆軒のたのみで
蝦夷に探検にいきます。
択捉に「大日本恵登呂府」という標柱があるかと思いますが
今のは昭和5年に再建されたもので
石でできていますが
最初の木でできていた標柱は
この謙治が心を込めて書いたものだとか
一緒に行った近藤重蔵ばかり取り上げられていることが多いけど
字を書いたのは謙次さんなんですよ!!!!!
謙次さんがいなかったら今の日本の形はなかったかもしれませんね
茨城の北方探検家 木村謙次
ご紹介しました。
茨城の北方探検家 木村謙次
ご紹介しました。