H24/3/21 仏教講座 @中丹勤労福祉会館

【内容要約】

■ 天上天下 唯我独尊 (略 (釈迦)

Q、仏教は独尊的な教えではないのか

お釈迦様が誕生された時に、「天上天下 唯我独尊」と言われたようですが、仏教はそんな
独尊的な教えなのですか?

A, 多くの人は、この意味を「この世で一番偉くて尊いのは、ただ私一人である」と解釈している。
  しかしそれは誤った解釈です。
  ここで言われている「我」とはお釈迦様本人だけのことではなく、
  我々人間ということなのです。
  そして、「独尊」とはたった一つの尊い使命ということです。
  「天上天下 唯我独尊」の本当の御心は、「天上・地上(大宇宙)広しといえども、
  我々人間にしか果たせない、たった一つの聖なる尊い目的があって、生まれてきたのである」
  ということなのです。
  正信偈ではこう教えておられます。
  如来所以興出世 唯説弥陀本願海 (親鸞聖人)
  お釈迦様がこの世にお生まれになった目的は、ただ、一切の人を絶対の幸福に救うという、
  阿弥陀仏の本願一つを教えるためであったのです。

  ではその目的とは何でしょうか。
  「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。
   この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってか、この身を度せん。
   大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。」(釈迦)
  
  生まれ難い人間に生まれ、聞き難い仏法を聞けてよかった。何がなんでも今生で生死の一大事を
  解決しなければ、いつの世でできるであろうか。永遠のチャンスは今しかない。
  みな人よ、真剣に仏法を聞かねばならぬ。

  お釈迦様がお勧めのように、すべての人の生まれてきた唯一の目的は、弥陀の本願を聞信して
  絶対の幸福を体得することにあるのです。
  
  ※生死の一大事=「死んだらどうなるか」の大問題。
   聞信=「まことだった」と聞いて知らされること。


  これを機会に、一度の人生、私たちは何に命を尽くすべきか深く考えてみようではありませんか。

補足)【人生の実相】
   人生は苦なり(釈迦)
   仏教で「流転輪廻」ともいう。
   食⇒寝⇒起⇒排泄⇒食・・・を繰り返している。
   

私が人生の目的について学んでいる中で、最も大事にしていることは、
「幸せになるための行いをすれば、幸せの結果がやってくる」というものです。

ニンジンの種を植えれば、ニンジンができます。
タマネギの種を植えれば、タマネギができます。
ニンジンの種を植えて、タマネギができることは絶対にありません。
これを「因果の道理」と言われます。
平たく言うと、原因と結果の真理ですね。

なので幸福というのは自分の行いによって手に入れるものだということです。

■『なぜ生きる』と『どう生きる』の違い

 ●どう生きる: 生きる手段/生きるためになくてはならないもの
         金、財、名誉、結婚、政治、経済、科学、医学、芸術、
         法律、倫理、道徳、、、
         要約すると 衣食住

 ●なぜ生きる: 人生の目的/ゴール
         進んでいく方向

 関係:生きる手段(どう生きる)は人生の目的(なぜ生きる)を達成、完成
    するためのものである。
    人生の目的を達成するまで生きる手段によって生きる。

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【「なぜ生きる」と「どう生きる」の関係】

私たち人間は、毎日毎日朝から晩まで、幸福になるために「どう生きるか」を考え、悩み、
苦しみながら生き、やっとの思いで幸福感を得てもそれは一時的で長続きするものではなく、
いずれ薄れ消え去ってしまうものばかり、そしてそれらを死ぬまで延々と求め続けているのが
実相ではないでしょうか?不安は尽きません。
どう生きるか・生きがいとは、お金や財宝、名誉や地位、趣味や健康、家族、政治、経済、医学、
科学、倫理、道徳・・・など。
それらをどれだけ持っていても、最後死ぬ時には、すべて捨てて行かなければなりません。
一番大事なこの肉体でさえも焼いていかなければなりません。
「生あるものは死に帰す」と言われるように我々はいずれ死んでいかなければなりません。
世間では『死』を連想するものを避ける傾向がありますが、これは生物の確実な未来です。
逃れることはできません。


私たちはどう生きるかを追い求めていますが、人生において一番大切な
『なぜ生きる』を知りません。

人は何のために生まれてきたのか。

何のために生きているのか。

苦しくともなぜ生きねばならないのか。なぜ自殺してはならないのか。


それは人間に生まれたのはこれ一つ果たすためであったという、『万人共通の人生の目的』
があるのです。
それを平たい言葉で『なぜ生きる』というのです。
これ一つを達成するまで生きるために、『どう生きるか』が絶対必要であり、初めて意味を持つのです。
あらゆる手段を駆使して一秒でも長く生かすために医学があるのはこのためと納得がいきます。