気が付けば秋も深まる10月!暦早いよ早すぎる!
夏にアップしようと用意してた夏祭りの画像が季節外れになってしまいましたがせっかくなので投下…

先日古い友人と話していて面白かった(=興味深かった)ことがあったのでちょっと記録。
そのうち4コマネタとしても使う予定だけど、まずは整頓まで。たぶんすげえ長いです。
いちおうお断りしておきますが、これから書く内容は特定の誰か何かをディスる目的ではまったくございません。
ただ、バカにしているか否かと言われればたぶん「主観的に見て」バカにしてはいると思います。
ので、特定の宗教や信念、固く信じる何かをお持ちで、かつそれについて他人の否定を受け入れられない方はここでお帰り下さい。
読んで不快になられても責任は負いかねます。
いやもちろん抗議や罵倒は甘んじて受け入れますけど、っていうかそういう覚悟がないと基本発信しちゃいけないと思うし。
でも相手をするかどうかはこっちの気分で勝手にやらせていただきます。
そういう場所なので。
古い友人は、ものすごい根が真面目。
歴代の数多の友人の中でも抜群に美人で、群を抜いて物事への理解度と探究心が高い。
だがクソマジメに誰の話にも耳を傾け、しかも理解しよう寄り添おうとするため影響を受けやすく、ために不安定になることがある。
彼女の話によると、近い知人が唐突に目覚めたそうな。
かいつまんで言うとそれは決して宗教ではなく、天使が降りてきていろいろ指示をしてくるみたいな話で。
前世は宇宙人で、実際目覚めていない気づいていないそういう人はいっぱいいて、総じてみんな現世では「変わり者」で、なにがしかの使命を持って遣わされている、そうな。
聞いた限り感覚的には、かのジャンヌダルクに近い話だ。いやジャンヌダルクが宇宙人だったってわけではもちろんないが。
彼女は開口一番「わたし地球人だよね?」
え、えっと、気が変になっちゃったかと思ったよ正直。
地球人さね。どっからどう見たってビタ一文まからんよ。
そりゃまあ、前世までは知らんよ。
ていうか前世が宇宙人だろうがなんだろうがどのみち知りようがないさね。
そもそも前世来世って感覚さえきわめてあいまいなもんなんだから。
実際あるのかないのかなんて死んでみなきゃわからんし、わかったところでそれを伝える術なんざない。
要は生きてるいまこの一生だけがかろうじて確たるもので、それ以外に確たるものなんてなにもない。
ちなみにわたし自身、18くらいまでとある宗教にドップリで生きてきたという経緯がある。
その頃のわたしは宗教が発信しているすべてのことを何の疑いもなく享受してきたし、胸を張って他人の問いにも答えることができ、1ミリのてらいもない純度でその正しさを他人に説くことができた。
今思えばなぜそこまで信じていられたのか逆に本当に不思議なほどに。
信じるという行為は本来努力や忍耐の積み重ねという「確かな足場」があってこそ意味を為すもので、根拠もなくやみくもに「正しいから正しいの!」と言い切ってしまえるのはある意味宗教の特徴と言えるかもしれない。
さて件の彼女のご友人は、目覚めて天使のお声が聴けて、彼女も仲間だから早く目覚めて!と言ってくるそうな。
それを聞いていた彼女の発言が先の「わたしって地球人だよね?」につながるわけだが。
なるほど聞くとご友人のお話はなかなかよくできている。
どんなお話に影響を受けたか知らないが、あるいは本当に彼女の脳内には神の啓示が聞こえているのかもしれないが、それなりにもっともらしいことを話している。
仮に彼女の受けている啓示が本物だったとしよう(絶対ありえないけど)。
だとしても、単純にそれが真実であることを他人に伝えることはかなり難しい。
人というものの多くはわたしを筆頭に目に見える耳に聞こえるものしか信じないようにできているからだ。
それでもたまたま奇跡が起きて、その奇跡を目の当たりにしたり体感したりした人たちが「体験」でもってその奇跡を起こした神様(あるいは対象物)にのめり込んでいく。
それがおおざっぱに言うと宗教の形だ。
この「奇跡」は、神によって起こされるものではない。
言い方悪いが奇跡なんてのはこの世にゃゴロゴロしている。そもそも人が人として生まれて生きている、想像を絶する規模のコミュニティを築いて生きているこの世それ自体がすでに奇跡。地球の存在自体が奇跡みたいな確率の話。
そういうものを拾い集めてたまたま当たったときにさも神様のおかげみたく言うのも宗教の特徴のひとつだ。
実際、私自身が宗教に理不尽さを感じたきっかけとしてそれは大きかった。
高校生の頃親しくしていた別地域の同志(=同じ宗教に邁進している仲間)の女の子がある日突然交通事故で亡くなった。
彼女の死が受け容れられず納得もできなかったわたしは、組織のエライ人に会いに行ってなぜ彼女が死なねばならなかったのか訊ねた。
エライ人の答えは詳細までは覚えていないがこういう意味のものだったと思う。
「死の時期は選べないので仕方ないが、苦しまずに死ねたことは宗教のおかげだった」
納得などできるはずもなく。
もし仮に植物状態でも生きながらえたとしたら、エライ人はきっと「命が残ったことは宗教のおかげ。奇跡だ」と答えたろう。
要はご都合主義なのだ。
ものごとはなんだってどうなふうにだってよく解釈しようとすれば可能だしその逆もまたしかり。
いいことはみんな神様のおかげ。
悪いことはみんな祈りが足りないせい。
宗教を否定はしない。
長くツライ人生、拠り所なしで歩んでいくのは大変だ。
めんどくさいこと、わからないこと、悲しいこと、苦しいこと、全部丸投げしてひたすら前だけ向いて歩いていけるというのはある意味メリットとも言える。
だから神様を信じることを悪いとは思っていない。
ただ、宗教ドップリだったわたしが宗教から離れて眺めて改めて毎度毎度思うことは、
都合がいいなあ
ってこと。
広く見れば占いやらスピリチュアルやらもみんな一緒。
自分で悩む考える選ぶ、作業を軽減してくれるのがそれらの役割で。
それが上手に処世術として活かされている分にはアリだと思うけど。
それに丸投げして思考を手放してしまっている人たちを見るとゾッとする。
この世には奇跡が溢れている。
この世にはわからないことが多すぎる。
そしてそのわからないことをとりあえず全部神様におしつけている。
のが、現在進行形の神様の形なのだろう。
いつか数千年経ってまだ地球に人類がいたら、その人類の中にもう神様の棲む余地はいないかもしれないとも思う。
地上が楽園になっているって意味ではなく、人類は丸投げしていたわからないことをひとつずつわかるようにしていくだろうからな。
大いなる自然の流れみたいなものは確かにある。
そこに作為があるのかないのかはわからないが、ただそれは神と崇めるようなものではないことだけはわかる。
いいことも悪いことも、大きなことも小さなことも「流れていく」だけ。
そこにねじ込む神様はたいてい、人が心の中におのおの勝手に飼っていて(韻を踏んだわけではない)。
だから神様は、都合がいいのさ。
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そんな神様とは関係なく毎日どうでもいい4コマは元気に更新中↓

…ていうか、たまに長文書くと楽しいわー。