今月は私的に史上最高ともいえるくらい楽しい時間・ありがたい機会をいただいていたので、体調を崩さないように無理をしないでいたこと&その時間以外は放心状態だったことから全然文章を書くことができませんでした。

週末もまた楽しみなイベントがあるのですが、ひとまず落ち着いたところで、いまパチパチと文字を打っています。
 

一方で、楽しすぎた反動のためなのか、私生活?は結構しんどくて、これまでもちょこちょこあった人生の岐路みたいなところにいるのかもしれないなぁ~などと感じています。いったい自分は何をしたいのだろうか、とぼーっと考える時間がまたやってきた、という感じです。

そういう時というのはたいてい、本を読むとか、ブログ(なにか)を書くとか、旅に出るとか・・・そういうことをしたい気持ちが出てきて、行動してきていたのですが、今回はどの気持ちもなぜか出てこなくなってしまっていて、さぁ困ったぞ、となっていました。

でも、今こうやってパソコンを開くことができているのは、タイトルに書いた「本を書きたい」という気持ちだけはむくむくと湧いてきたから、その気持ちをここに残しておきたいと思えたから、と言えそうです。

ここでいう「本を書きたい」というのは、ブログを書くということとまた別のもので、私のこと(や経験)を書くブログではなく、大事な人(たち)の話を聞いて、それを書き残したい=本を書きたい(本にしたい)という気持ちのことになりそうです。
 

その人の話をじっくり聞いて、それをとにかく書き残したい。

やたらめったらその気持だけは湧き上がってくるのは、人の話の枝葉をなんらかの都合によって削ぎ落としたりしたくないこと、理論や学問的な名称等でその人のことを語りたくないこと、その人の言葉をそのまま文字として残す作業(これらを民俗学でいう聞き書きと言うのかと思います)をしたいということが私にはもともと(震災支援にかかわらせてもらってきたときからずっと)あったためかもしれない、と思います。

一時期忘れていた(気持ちはずっとあっても横に置いていたように思う)それが、ありがたい機会(縁)を契機にふと思い出されたような感覚があります。

 

それをもって何かをしたいとか、それをして何か意味があるのかとか、そういうのはよくわからないのですが、私はそれができたら幸せかもしれない、そんな気持ちです。

といっても、これは誰かを巻き込むものであって、無理に進めてできるものではありません。だからせめて、これが私の幸せかもしれない、ということだけでも書いておこうと思ったのだろうと思います。

ドラ◯もんの歌じゃないけど、できたらいいなー

ブログもまたぼちぼち書けたらと思いますが、私の現在地はここにあるようなのでした。