三好市のお試し暮らし体験記。なんとも中途半端な数字ですが、これでラストの記事としたいと思います。

ラストはもうなんといっても妖怪の町としてすばらしすぎるという話につきます爆

 

三好市山城町は世界妖怪協会の認定する怪遺産に選ばれたほどの(素晴らしすぎる…)町で、そこにはそれにふさわしい妖怪ロードがあります。

 


妖怪ロードには数々の妖怪がいて、入口には手作りののびあがりが待ち構えており、エンコやマドなどなど、次から次へと妖怪が待ち構えています…やばすぎ。







ちなみに、これらをすべて観光アプリで(?)撮影すると妖怪屋敷で妖怪ポスターやシール、バッジなどがもらえる仕様になっていて、もう我が家の家宝になっています爆




柳田國男の『妖怪談義』には、三好市発祥の妖怪としてこなきじじいがいることが以下のように書かれています(以前も書いたと思いますが&本当の発祥地にある石碑のところまではいけませんでしたが…)。

阿波の山分けの村々で、山奥に居るといふ怪。形は爺だといふが赤児の啼聲をする

 

 


おもしろいのは、『徳島の謎』によるとこの子泣き爺にはモデルがいるようで…

「子泣き爺」は非常に狭い地域、あるいは一軒の家に伝わる妖怪話で、じつは実在のモデルがいたという。昔、赤ん坊の物真似が得意なお爺さんがいて、その家ではその物真似を、子供のしつけに使っていたらしい。それがいつのまにか妖怪伝承になって広まった、というのである

とありました。マジでやばすぎ。

 

 

この引用は「地元の妖怪伝承を調査した郷土史家によると」から始まっているため、そのことから地域の人が妖怪を語り継いでいることがわかります。


妖怪ロードや妖怪屋敷をはじめ、この地域には今もそこに妖怪がいることを伝えている雰囲気があるのですが(ここでようやくご紹介できる…)その理由を三好市の妖怪博士がこう教えてくれました(私はその方と妖怪談義(?)をさせてもらって昇天しかけました)。

境港は水木しげるさん。遠野は妖怪が物語化したところ。ここ山城は(妖怪は)今もある。亡くなった人の名前はわからなくなってしまうが、妖怪がそこにいるのは残る。

ここで少し解説しておくと、日本には三大妖怪文化の町がありまして(義務教育導入が必要説)ひとつは水木しげるさんで有名な鳥取県の境港市、もうひとつは柳田國男の遠野物語で有名な岩手県の遠野市、そしてもうひとつが徳島県三好市となっています。

その三つの町には違い(特色)があると妖怪博士は話してくれ、三好市(山城)は特に険しい自然環境ゆえに今も妖怪が生活には欠かせないということを教えてくれました。

妖怪博士の家の前では鳥と戯れることができるという…。



そのことは様々な媒体を通じて書かれてもおり、たとえば『大歩危周辺てくてくマップ』には

切り立つ崖や、足を滑らせれば滝つぼに落ちてしまいそうな危険な所には必ず妖怪の話があり、人々はそこに近づかないようにしました。このように妖怪話は事故や事件から身を守る知恵として語り継がれ暮らしの中に生きつづけてきたのです。

と紹介がされています。

 

また、本当に残念なことに、すでに亡くなられてしまっていてお会いできなかったのですが、妖怪村(!?)の村長さんをされていた宮本さんという方は、ある冊子で『生きてる妖怪』というタイトルのもと

私らは、妖怪とともに育ったんよ。

日が暮れるまで遊んどったら『児啼爺が連れに来るぞ』と言われてね。私らは子どもの頃から、妖怪の話を聞かされて育ちました。

暗くなるまで歩き回ったらいけん、危険な場所には近づくな…妖怪伝承には、厳しい自然の中で生きるための"知恵”や"戒め”が詰まっとるんです。妖怪は、この地域の生活必需品だったんですよ。

といった語りを残されていました。

私も岩手にて遠野の方からこうした話を聞いて育ったことをこれまでに伺っており、その豊かさ(?)に打ちのめされてきたのですが、妖怪は災害をはじめとした険しい自然環境、そして人間に起こる悲劇と重なっていることが非常に多くあることを学んできました。

東日本大震災以前の明治津波の話が遠野物語にあることを知ったときは衝撃的で、その感性?は今も地続きであることも感じています(だから魅了されていたりもするのかと)。

60種類186箇所!?も妖怪がいる山城の大歩危という地名は『徳島の謎』によれば

「歩危」の語源は、「ホキ」「ホケ」に由来

しているようで、

山の斜面の崩落しそうな危険な崖や崩落地を示す

という意味となるそうです。

実際、この大歩危・小歩危は、吉野川が石鎚・剣の山脈を横切る所に、結晶片岩の侵食によって生まれた地形である。今から数百万年前、吉野川は隆起してきた石鎚・剣山脈の山肌を侵食して刻み、両岸の山を切り立ったような断崖に変え、V字型の渓谷を作り出した。

しかし同時に、渓谷の一帯は日本でも有数の破砕帯の地すべり地に属しており、台風や豪雨のたびに土砂の崩壊などが起こる危険地帯だったのである。

そうした危険性をはらんだ地形であることを、この不思議な地名が、今に伝えてくれているのである。

ともあり、人々は災害と隣り合わせの中、この地で生きてきたことが想像されます。



私は直接見られませんでしたが、ここでは雲海も見られるので(遠野もそう)その光景をかつての人が見たら「何かがいる…」と思うことも十分ありそうなどとも思ったりしますし、そんな大自然を前に人間とは少し違う空間・存在として、様々な妖怪の話が生まれてくることはごくごく自然なことのように私は思うのです。

ちなみに、徳島県の美馬市の山間には「ゴギャゴギャ」と泣きながら山中をうろつく一本足の妖怪がいるようで、その泣き声が聞こえるとまもなく地震が来るという言い伝えがあることも『徳島の謎』にはありました。危険を伝える、人間では及ばない力があることを妖怪(や地名)は伝えてくれていることがよくわかります。

 

こうした中で人が営みを続けていくことや妖怪を伝え続けていく(営み)ことは率直にすごいなと思います。

どれだけの妖怪が人を守ったか、同時に、これだけの妖怪がいるという背景にどれだけの犠牲があったか(あるか)を考えさせられます。

一方で、現実(妖怪も現実ですが)に戻れば、市長さんとお話をした際に三好市が40%の高齢化率で、かつ、高齢者の自殺が高くなってると教えていただいたことがありました。

たまたまその時に目にした広報には

三好市の自殺死亡率(人口10万人あたりの自殺者数)は、(略)徐々に減少しています。(略)長引く新型コロナウイルス感染症の影響もあり、令和3年は再び増加に転じ、県全国平均より高くなっています。

とあり、さらには

三好市では高齢者や生活困窮者の自殺が多い傾向にあり、その背景として、我慢強く、SOSを出しにくいという、三好市民の住民特性が関係していると考えられます。

とありました。コロナの影響を受けた経営者等の自殺も増えているとそこにはあります。

この通りに受け取れば、険しい自然環境の中で、みんな大変なのだから受け入れなければいけない(声をあげてはいけない)というプレッシャー(や村八分的なコミュニティの特性など)を少なからず感じている人がいることに思いを馳せる必要があるのだろうと考えさせられる私がいます。これは災害時と同じ現象です。

どんなことができるのだろうかと、三好市ではそんなことも考えさせられていた折(岩手に戻ってきてからの最近の話ですが)三好市出身のお医者さんが岩手県の宮古市で支援活動を続けていたことを知りました。

私も宮古にはよくお邪魔させていただいていたので、どこかでお会いできていただろうか…などと思ったり、こちらにある通り、私も震災支援は石巻市がはじまりだったので、勝手に親近感を抱いたりもしていました。

https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20240128-OYO1T50011/

いつかお会いしてお話してみたいなぁと思えるような、こうした情報との出会いを含めてこの地域とは不思議な縁を感じる、というか、感じていたいと思っている自分に気付かされます。

今後移住をどうするかまではまだ考えられませんが(そもそもゆっくり考えていく予定だったので)自分は何をしたいのか、何ができるのかとたくさんの刺激をもらえた、考えさせられた一ヶ月だったなと思います。

大袈裟でなく、人生史上、最高の一ヶ月だったかもしれません。。

本当、良い地域と出会えたなぁ、ありがたいなぁと思うばかりなのでした。