2月も残り一週間を切った。

今月はいろいろ忙しかった(何があったかを覚えていないのでたぶんそう)ので、アメブロに限らずブログは全然書けず…。

今年始めに徹底して言葉にするぞ、まとめるぞと思ったのに、その実行ができていないことに、ちーんとなる。

ただ、その一方で今月は失われていた自分の感覚を確かに感じる瞬間がいくつかあった。

ひとつはキャッチボールをしたとき。

もうひとつは、地域を歩いているときに話しかけた知らない高齢男性と数分話したとき。

だらだらと垂れ流しで、キャッチボールのことをここで書いておく。
 

キャッチボールをしたのはいつぶりだろうか。

正確にはキャッチボールと言えるようなものではなく、相方が投げてくれて転がってくるボールを取る、自分でボールを上に投げて取る、というだけのことを数回したに過ぎないのだが、それでも、ボールを取る時の音・痛み、ボールを取るための体の動き、そういったものひとつひとつを楽しいと思う自分がいることに気づいた。

これは、私が野球少年だったから単にこどもの頃を思い出した、という話で終えることができるのかもしれないが、そうしようとすると大事なものが振り落とされる気がする。


私はこどもの頃、バッティングよりも、ピッチングよりも守備が得意だった。

得意で、できるから、守備が好きだった。

でも、今のようにはっきりと守備を好きとはあまり言えなかったような気がする。

できるから、以外に、好きと言える根拠が特になかった気もするし、野球といえば、華やかなのは特大のホームランを打てることや、速い球を投げることであったから、守備は好きとする類のものではない(そういう空気がある)と思っていたからな気がしている。

 

今は大嫌いというか、人権的な意味で見られないというレベルだが、昔の私はジャイアンツが好きだったらしい。

「らしい」をつけているのは、当時、テレビで見られるのがジャイアンツばかりであり、そして、よくわからないけど父親がジャイアンツ戦のチケットをもらうだかなんだかして、後楽園球場に行くことが時折あって触れる機会が多くあったことで、そう思い込まされていた、つまりは社会の作る物語によって形作られただけに過ぎないと思っているから、である。

 

話を戻す。

 

私がジャイアンツ戦に連れて行ってもらった時のこと。

トイレに行ったら、隣のおじさんが「巨人が好きか?」と尋ねてきたことがあった。

私が(しつこいけど本当にそう思っていたとは思えないことを書いておく)「はい」と答えると、そのおじさんはニコニコと嬉しそうな顔をした。

そして、続けて「誰が好き?」と尋ねてきた。

私は当時ショートを守っていたため、ショートの選手をよく見ていたこともあって、当時のジャイアンツのショートであった元木選手の名前を出そうとしたときに、「やっぱり松井か?」とおじさんが言ってきた。

私はおじさんがあまりにニコニコしていることもあって、また(選手たちに失礼だが)いわゆるスター選手であった松井選手ではない、とわざわざ言うことは違うと思わされ、引きつったまま(違うのにと)「はい」と答えた。

何気ないエピソードだが、私はこの経験を強烈に覚えている。

やっぱり、特大のホームランを打てる人になりたい、と思うこと、憧れることが正しいのだと思わされた経験だったからだ。

当時そのことを言語化はできなかったが、おじさんがうれしくて仕方ない様子でトイレを先に出ていったことを含めて、印象に残った経験として私の中にある。
 

そういった経験を筆頭に、将来活躍できるのはそういう人だというメッセージを私は身近な大人から、社会から、よく浴びていた。

もちろん、守備を評価してくれる人も多かったが、体を大きくしないといけない、守れても打てなきゃいけない。勝つために、「あなたが望む」プロをはじめ高いレベルで野球ができるようになるためには・・・と必ず言われてきた。

それらはその通りであり、私を思っての言葉(メッセージ)たちなのだが、どこか息苦しかった。

私は守ること、守りながら周りを見ることに(自分で言うのも何だが)長けていたし、それが好きだったのに、それだけではいけなかった。


話は広がるが、先日『憧れの感情史』という本に関する講演を聴講した。

そこで著者の山口みどり氏は

あこがれは夢や欲望と重なりながらより淡い感情を含む概念と考えられる

ということ

人々のあこがれをどう掴むかが近代社会の課題でもあった。(あこがれを)いかに刺激し増幅させ、つなぎとめ、あるいは、変容させ操るか。あこがれを操作すれば自ら進んで苦労をいとわず人は動く。

という話をされていた。

それを聞いて、私は私の夢を叶えるために正しい対象にあこがれなければならなかった、そうでないといけないと教えられてきたんだな、と思った。

でも、そこにある操作性が嫌で、息苦しかったのかな、とも。

 

そう考えると、「~いけない」から開放された空間でのキャッチボールーなんだったらキャッチボールとも言えないような野球ーをして、ボールを取るのが好きなんだな、と思えたことは、操作からも開放された経験と瞬間だったとも言えるのではないか、なんて思う(よくわからないけど)。

「野球、懐かしいな~楽しいな~」みたいなものとは全く違う感覚だったのは、そういうことではないかなと。

 

私は打つことよりも、投げることよりも、ボールを取ることが好きなんだ。

そう確かに思う自分に出会い直すことができた。いや、出会い直すというか、再構築な気がする。こども時代を取り戻す、出会い直すというのとは違う、これが私であるという感覚の再構築だった気がする。

何よりも野球を楽しいと感じていたこども時代。それゆえに、あったはずの苦悩や違和感には触れられない、大人がそれを定義づけ位置づけてしまう可能性にも目を向けたいと思う。

そして、これが私であるという感覚はいつであっても再構築できるのかもしれない、とも思う、願うのである。