気がついたら大晦日。
2023年も残りわずかとなっていました。
みなさんにとってこの1年はどんな1年でしたでしょうか。
と、こんな当たり前?な言葉かけすら正直ためらいたくなるような感覚で私は今を過ごしており、それが示すのは、私にとってこの一年は自分の中の何かが大きく崩れてしまったような、そんな一年だったということと言えそうです。
その理由はたくさんありますが、中でも大きく2つのことが私に深いショックを与えました。
ひとつは汚染水の海洋放出。もうひとつはガザのジェノサイドです。
海なし県にいた私が東北地方太平洋沿岸部に移り住んでおよそ10年。
東日本大震災が起こってもうすぐ13年。
時間が経ったことと、新型コロナウイルスのパンデミックにより震災のことはもうほとんど忘れられたこととなり、「復興した」という言葉を何の疑念もなく使う人、それで片付けられるようになってきたことを日々実感しています。
それは致し方ないものだと私は思っていますが、こうした社会の無関心が後押ししたのか、復興や正義、そして科学という名のもとに、原発処理水の海洋放出が決定されました。
この件についてはこれまで書いてきたので詳しくは省きますが、日本政府(自民党)は「関係者の理解なしに」は実行しないと言っていたそれを一切守らずに海洋放出を決め、進めていき、それを後押しする世間の声に私は大きなショックを受けました。
海洋放出がなければ起こることのない風評被害を「風評加害」と言う声も大きくなり、現場から離れたところで「処理水放出してくれたら福島の魚食いまくる」などと言う声・勇ましさもSNS上で見受けられ、漁業は現実ダメージを受けているという理不尽で不均衡な状況が生まれています。
外交問題にまで発展している(そんなこと想像することはできるにも関わらず)この事態を前に、この国は一体何を学んできたのか、何を大事にしているのかと深く絶望しています。
そして、10月にはじまったイスラエルによるガザのジェノサイドは今も続き、犠牲者数はわかっているだけでも東日本大震災を越えるほどとなっています。
人間を人間として見ないこの大殺戮が今自分が生きている時代に起こっていることにーそしてそれを止める手立てがない世界にー何も言葉が出てきません。
ジェノサイドが起こるまで、私はパレスチナのことをほとんど知りませんでした。
情けないことに、私の場合にはパレスチナを知る機会があった。にも関わらず、知らずにいた、知ろうとせずに知らずにいられたことにも私自身深いショックを覚えました。
それは私がこういう構造に積極的に加担してきたということを指していて、情けない、恥ずかしいにもほどがありこのことを考え続けなければいけないと思っています。
平和憲法のある日本に住みながら何も知らなかったこと、何もできないことに嘆きと怒りを覚えながら、自分にできることを探す一方で、あろうことか、この国(自民党)は殺傷武器の輸出を閣議決定し、ジェノサイドに積極的に加担し始めました。こんなことが許されるわけありません。
その他にもこの国はあらゆる悪法を閣議決定だけで進めていくような国になっていて…統一教会の問題も裏金問題も、何が起こっても退陣することなくのさばっている…。
そんなあまりにも崩れた社会、毎日に身体が引き裂かれそうな感覚、深い絶望と疲労を感じながら、人間としての恥を覚えずにはいられません。
私のこの一年はそんな一年でした。
非常に残念なことに来年もおそらくそんなことを感じながら生きるのかと想像してしまいます。
どう生きていったらいいのかと、正直自信はないですが、それでも人は学び、少しでもよくなろうとすることがきっとできると、私自身、無関心とたくさんの過ちを通過して(今も繰り返しながらですが)きて思っている以上、生きていきたいと思っています。
おかしいことにはおかしいという体力を身に着けながら、打ちのめされる毎日を、か細く、小さな存在として(反省しながら)生きていたい、それこそ抵抗であると信じて、来年を過ごしたいと今思います。
みなさんにとってよいお年が訪れますように。
そして、少しでも早く停戦、占領からの解放が起こり、あらゆる争いがなくなり、不正が裁かれ、公正な世界・社会になることを願ってやみません。