11月後半から今日まで移動等が続いていたこともあったのですが、何も書くことができない日々が続いていました。

このブログは週に12つほど何か書けたらなと思っていたのですが、気がついたら一ヶ月近く記事を更新できていませんでした(どの媒体の記事も書けずにいました)。

以前にも何も書くことができないということはありましたが、今回はより深刻というか、、何を書けばいいのか(別に誰かに書くように要請されているわけではないのですが)わからない、というのか、書こうとしても手が動かない状態が続くという感じでした。

頭はたくさん動いているのに(から?)全然身体が動いてくれない。

これは情報過多になっていたり疲労だったりとして片付けることができるのかもしれませんが、個人的にそれはちょっと違う気がしています。

うまく言葉にできないこの感覚とようやく付き合いながら、なんとなく「書けないことを書こう」となってきたところで、今この記事を書いています。

 

なんで書けないでいるのか。

書けないながらにそのことについて書こうとした時に浮かんでくるのは、パレスチナの状況の酷さと、そのことに対して私自身があまりに無知と無関心であったことを思い知らされてしまったことが挙げられそうです。

そしてまた、パレスチナのことに限らず、私自身の特権性について思い知らされ、これまた私が知らないでいたことがたくさんあることに対して、文字通り言葉を失ってしまっていたから、と言えそうです。


パレスチナについてはイスラエルによるジェノサイドが始まってしまった当初から、自身の無知や無関心を理解し反省していたのですが、私のこれまでのことをよくよく考えてみると、実は私は何度もパレスチナのことに触れる機会があったんだなと気付かされるということがありました。

(そのときもパレスチナだとは意識しておらず世界にはこんな状況がある的に捉えていたはずです)パレスチナに関する本を読んだり、パレスチナについて語る人、その現場を知っている人と会ったりということを私はこれまでにしていたのです。

無知や無関心でいる他の日本人よりも私は確実に知る機会があった立場の人間であり、なんなら私は関心を持ってそうした機会に触れていたはずでした。

でもイスラエルによるジェノサイドがはじまったときに、そのこととそれらが(そのことに気付かされるまで)つながりませんでした。

つまり私は知る機会を持っていたのに、関心を持ったフリをして、知らないままでいた張本人なのだと理解したのです。

私はこの構造にハッキリと加担する立場の人間でした。本当に何も知らないでいたという人とは比べものにならないものだと私自身は思っています。

そのことのショックというのか、それよりも、それをもって自分は自分自身やこの現状について何をどう考えればいいかがわからなくなってしまっていたのかなと思います。何を書いてよい立場にいるのか、書いて何の意味があるのか。そういうことの土台も崩れていったような感覚があり、だから何も書くことができなくなってしまっていたのだろうと今書きながら思います。

このことは特権の話にもつながります。

私は今回の移動の中でたくさんの「たまたま」を経験しました。

パレスチナの人たちに限らず、たまたま生まれた場所やときが違っただけで、私とは全然違う人生を歩むことになっている人と私は話をする機会を得ました。

それでいて次の日には私は世間でいうところの贅沢をたまたま享受する機会を得ていました。

私はその贅沢を望んだわけではありませんが、たまたまそれを受け取ることのできる立場にいたのです。

誤解のないように言えば、私は全然裕福ではないですし、今回のその贅沢は特に望んだわけではなく本当に「たまたま」得られたものでした。

この両極端でアンバランスな日々にクラクラとする私がいて、私は知らないでいられる特権のある立場にやはり限りなくいるのだと思い知らされてしまっていました。

そうこうしているうちに世界では、日本では恐ろしいニュースばかりが進行していくのですが、パレスチナのような渦中にいる人達からはその現実は対処する余裕がないという意味で見えないものであり、贅沢の世界からはその現実は「見えない」でいられるものと位置づけられることがよくわかりました。

そして、私は紛れもなく(裕福とかは別で立場として)後者なのです。

きっと今もたくさんのことに気づかず見落とし踏みつけて生きているのだと思います。

そんな立場の人間が何かを書くことに意味があるのか、なんなら有害でしか無いのではないのかという思いを抱き、書く言葉を失っていました。

 

ただ、それでも今書いているのは『平和を生きる権利は国境を超える パレスチナとアフガニスタンにかかわって』を読んで、大変おこがましいですが私自身のこれまでの災害支援での経験を思い出したためです。

 

 

著書にはこうした一節があります。

私たちのガザ行きは本当に細い針で小さな穴を一つ開けるようなもので、大きな力にはならないかもしれません。しかし、少なくとも国際法違反だと判 断し、本来的には存在しえないはずの野外監獄にあえて行こうとすること、それを継続しようとすることは、小さな穴を少しずつ広げていくことを意味するのだと信じています。

あまりに経験や規模(自然災害と人類による暴力との違いもありますが)が違いすぎますが、私もなんの力にもなれないけどと思いながら、災害支援を継続してきたことがありました。

私は力もなければ語るような立場・資格にもいないかもしれませんが、できることなら知ることから目を背けないでいたいし、自分が何を社会や世界に望むのか、それはなぜなのかをやっぱり考えていたい、だから書いていたいと思いました。

まだどこかに脱力感・無力感があり、同時に体中が重たいですが、この感覚のままに、時にホッとする時間を持ちながら生きていたいと思います。

一刻も早い停戦を願いながら。