もはやちょうど一年前(もっと早いペースで書きたかったですがなかなか進まず…)のこととなっているのですが、お試し暮らし体験記の続きを書いていきたいと思います。
今回は三好市滞在中に実施したプチ旅行について、です。
行き先は徳島市と淡路島で、一泊二日でこれまた弾丸で行ってきました。
実は私は徳島市に一度訪れたことがあり、というのも、
東日本大震災で一緒に震災支援をした人が徳島市の人で、一緒に活動したメンバーで徳島市で再会をしようということで訪れたのでした(懐かしい…&みんな元気かな…)。
その時は関東から船に揺られて徳島まで…という旅でしたが、今回は同じ県内に滞在しているということから、車で一直線でたどり着き、なんだか不思議な感覚を抱きました。
さて、徳島といえば眉山からの夜景と徳島ラーメン、そして阿波おどりかなと(めちゃくちゃ主観)思うのですが、阿波おどりは時期ではなくて、今回堪能することができませんでした。
コロナ禍での実施など、いろいろな論争が起こっていることは聞いていますが、
日本で最も有名と言ってもいいくらいの踊りだと個人的には思っているので、いつか生を見てみたいなと感じます。
ただ、阿波おどりについて、おもしろい記述があることを発見したので引用してみます(@眉山)。
これによると、徳島という地名はそもそも
川に囲まれた地形から名づけられた
そうで、
河川を水上の道として物資輸送に利用し繁栄
した町とされていて、阿波おどりは
江戸初期から続く盆踊り(阿波踊り)は、内町や新町、福島町、助任町、佐古町、二軒屋町といった町人地で行われました。
盆踊りは町人たちのものでしたが、藩当局から細かな規制が出され自由に踊ることはできませんでした。(略)
盆踊りは道路上で行われたため、明治時代に入っても警察署の許可が必要でした。(略)
(1928年ころから)季節に関係なく、慶事等でも踊るので盆踊りではなく「阿波おどり」の呼称が使われ始め(略)戦後、昭和21年の踊り復興以来、「阿波おどり」の名称が定着し全国に普及していったのです。
とありました。
「島」という名前がつくからには「島」であった名残があるだろうとは思っていましたが、
川に囲まれていたということや、「阿波おどり」がその名称で呼ばれ全国に知られたのは意外と最近であることなどは知らず、とても興味深く思います。
復興としての祭り(踊り)の話は
でいずれ書こうと思っているので、ここでは省略しますが、ひとつの観光産業となっていった動きについては(見たいと思う立場でありつつ)少し考えるべきところがありそうという予感がしたところでした。
ちなみに、こちらによると
徳島をはじめ、「島」という地名がつくことが多いのは、
吉野川が氾濫すると、下流域に無数の洲や島を形成したことに由来する
そうで、
吉野川はほうふやな水量によって阿波国に恩恵をもたらしてきたが、たびたび氾濫を繰り返す暴れ川であった
とされています。
三好市ももれなくそうした険しい自然環境と隣り合わせであることはこれまでに書いてきたとおりですが、
徳島市ないし徳島県という名前にしたのは
「島」の名称に、縁起のよい「徳」を美称として冠した
ということのようで、相次ぐ水害被害に遭ってきた中で、少しでも守られるようにと考えた(願った)結果の名称だとすると、いろいろ考えさせられます。
一方で、眉山には徳島大空襲によって一変した町の写真も展示されていました。
そこには
1945年7月4日未明、米軍のB-29爆撃機129機が徳島市に焼夷弾を落とした
とあり、
徳島大空襲は2時間近く続いた。市街地の約60%が灰と化し、見渡す限りの焼け野原となった
姿が見られるようになっていました。死者は約1000人を越え、多くの住民が逃げ惑ったとされた空襲について、徳島新聞社は
忘れてはいけないことがあります。(略)
この写真と、眉山山頂からの景色をご覧になって、いま一度「あの日」に思いをはせてみてください。
と書いています。
今朝、イスラム組織であるハマスがイスラエルに向けて3千発以上のロケット弾を発射したというニュースが飛び込んできました。
私はイスラエル情勢(どういう語り方をしたらいいかも私にはわかりませんが…)についてあまりに無知であるため、この件について何も言うことができずにいますが、、
これ以上の被害・犠牲が出ないことを願うばかりであるのはもちろんのこと、
それこそ私たちはきちんと「あの日」に思いをはせることが「日常の中で」できているか、と改めて思わされています。
戦争というのは平時からの差別構造や人権を軽視し独善的な社会の歪の積み重ねの結果であるとするならば、今の日本は極めて危険な状況に立っていると私は感じています。
差別構造を野放しにしていないか、独裁国家のような体制にNOをきちんと突きつけられているか。
こうしたことを見直さないといけないと改めて思います。
先日導入されたインボイス制度。インボイス制度への反対署名は50万にもなったにもかかわらず、この国は止まりません。
これは戦争をはじめたら止まらないことを案に示しているでしょう。
そのことに危機感を表明しないで、イスラエルの件に騒ぎ立てるというのはどうしても私には違和感です。
これをイデオロギーの主張と捉える人もいるようですが(確かにそういう人も見受けられますが)シンプルにマジョリティはこの危機に対する責任を自覚すべきであるという話であって、
変わるべきを変えていく営みが求められていると私は言いたいです。
徳島の話から大きくズレてしまいましたが、今ある大切なものを失わないために、人が人を殺さなくて住む世界のために、これからも考え続け、できることをしたいと強く思わされます。