ずいぶんと間隔が空いてしまいましたが、やっぱり書いておきたいと思い、

お試し暮らし体験記の続きを書きたいと思います。

 

前回は神山町に訪問した時の話を書きましたが、もう少しこの神山町のことを書こうと思います。

改めて、神山町はどんなところかというと、

徳島市中心部から南西に、川沿いの曲がりくねった国道438号を車で走り、

最後に長いトンネルを抜けると、45分ほど

でたどり着くといった、なかなかアクセスが大変な場所に位置する町です。

実際に私が訪問したときにも山道をひたすら運転していった記憶があります。

周囲を標高1000メートル級の山々に囲まれ、総面積の83%を山林が占め

ているようで、まさに神「山」という名前通り。



そうした立地から想像がつくように、人口は5000人ほどで高齢化率も50%近いといった

いわゆる過疎の町ですが、

神山町には都会から若者が次々と移り住んでくる

と言われ、近年注目を浴びているのはご存知の方も多いのではないでしょうか。


 

私が神山町に訪問するきっかけとなったのは、神山町に縁のある方とたまたま縁があったからでした。

その方ももともとは神山町出身の方ではなく、移住者でした(正確には二拠点生活をされているのだったかと)。

前回書いたように、お邪魔した『かま屋』さんは大混雑で、

若い人が働き、家族連れが並んでランチを食べているといった光景が見られ、

それはおそらく移住者や近隣から人が訪れているという表れ(でもある)だろうと思われます。

働いている人たちがいきいきとしていて、丁寧な感じ、お店が大切に扱われている感じが伝わってきて、

とても居心地のいい空間であったことが思い出されます。


 

なぜこんなに神山町に移住者が多いかはいろいろあるようですが、

神山町にはIT企業が進出し、それに伴って若者が移住してくるといった話がよく聞かれます。

ただ、そうした認識だけで神山町を語るのはどうやら大きな間違いのようで

(ITに弱いためか()私はそのあたり訪問しても感じませんでしたが)神山町は

進化を続けている

と言います。

散々これまでの引用は『神山進化論 人口減少を可能性に変えるまちづくり』からです。

引用しておいてすべてを読めておらず(申し訳ない)…

この本に「進化」の内容がおそらく書かれていると思うのでよろしければご一読ください。

以下は「進化」のあたりを私目線で書きます。

 

 

 

「進化」とはいったい何でしょうか。

私はそういったことをよく考えるのですが、神山町に関してわかりやすいものでいえば、

「神山まるごと高専」という一流の学校ができたことはまず挙げられるように思います。

「神山まるごと高専」とは起業家たち(?)によって創設された学校で、

5年間子どもたちが受験勉強とは違った学び(起業における専門的な学び)を実質無償でできるといった学校で、

とても注目されている専門学校とされています。

教育に力を入れることは個人的に最も重要なことの一つだと思うため、

これはとてもおもしろい試みだなと思い、私自身とても注目しています。

一方で、これで「進化している」とするのもまた「大きな間違い」のように個人的には思っているため、

自分の感覚を思い出して書かせてもらえば、、、

私が神山町に訪れて最初におもしろいと思ったのはある町内放送でした。

社会福祉協議会が無線放送で「ヨガをやる」案内をしていたのです。

神山町でこれは当たり前の案内なのかもしれませんが、おそらくあまりないのでは?と思いました()

何があまりないかというと、「ヨガ」を放送するところです、しかも社協が。

私の偏見に過ぎないかもしれませんが、高齢者への案内は基本的には行政から

草むしりやお茶会、地域行事やお祭り・伝統芸能関連、

そして健康に関する(病院や熱中症など)案内と思います。

そうではなく「ヨガ」をやるという案内を社協がするのは、なんだか画期的に私には思えたのです。

これが日常の一部になっているのだとするならば、

それはここに住む高齢者=移住者ではない地元の人たちが新しいものを受け入れ、

いいものは取り入れようとする姿勢があるということなのでは、と思ったのです。

つまり、教育がいきわたっているということです。

教育というと子どもたちが中心に置かれているものに思えます。

もちろんそれはその通りなのですが、教育は生涯にわたって誰もに必要なものであり、

そうした前提を大人が共有できていれば、それは子どもたちの教育の在り方へとつながると考えます。

「進化」という文言(を見たのは神山町から帰ってきてからのことです)で

神山町を見るにあたって、このあたりに「進化」の下支えがあるのではないかなと

たったその一瞬のことで知った気にはなりたくないものの)感じるのです。


 

学び続ける姿勢があれば、違和感に気づくことができるようになります。

違和感に気付けばそこに問いを立てることができるようになり、

なんとなく流れていく時間を自分の時間軸として、次に生かそうとします。

それは「進化」と言えるものだろうと私は思います。

私は、なんとなく流れていく時間を過ごすのが好きではありますし、それも大切と思いますが、

意図的でないそれは違和感や理不尽をそのままにする危うさを孕んでいると思われ、

自分や誰かが不用意に傷つけられる(そのことに気付かない)といったことにつながりかねないと思います。

それを「退化」というかはわかりませんが、

(大層なものではなくても)学び続ける先に「進化」があることはこう考えても言えるように思うのです。

よく地方創生と言われ、神山町もその切り口で(おそらく)語られる町なのでしょうけど、

私としては地域醸成と言いますか、地域で暮らす人々が一方通行・上からの押し付けから脱却し、

自身にとって、他者にとって、町にとってよいものを内から、

そして外から選び取る力を身につけている、そういった教育が根付いている町なのではないかと感じます。

教育の成果はすぐには出ないものですが、地域が足もとから大切にされていくことは

しなやかな土壌を育てるだろうと思い、今後も注目したいなと思うのでした。