笠岡市でのお試し暮らし体験記㉟では、㉝㉞に引き続き、鳥取プチ旅行のことについて書こうと思います。

鳥取プチ旅行では鳥取砂丘に訪れましたが、そこでちょっと思うことがありました。

ちょっと思うことの「思うこと」とはなんぞやの結論を先に言ってしまえば

「いったいこの建物はなんなんだ…」でした。

詳細を書いてみます。


 

鳥取砂丘に到着した際、砂丘の量とその雄大さに驚いたことは以前書いた通りです。

想像を上回る砂丘のスケールに感動し、訪れた日は猛暑でしたが思わず砂丘の頂上?まで行って

(汗びっしょりかいて梨汁サイダーを一気飲みしました笑)

日本海を眺めて鳥取旅行(観光)を満喫したところです。

いい経験ができたなぁと、いい場所があるなぁと思ったのですが、

その帰りに鳥取砂丘の周辺にあるお土産屋さん(?)に立ち寄ろうとしたところ、

目に入ってきた建物がありました。

それがこちらです。



こちら、何かわかりますでしょうか。

これはカフェのようで、調べてみたら(私的には案の定…)某く〇氏によるデザインのものでした。。


 

おそらくですが砂丘の景観を邪魔しないように、ないし、

フィットするようにと考慮されて(色合いとか形とか)造られたのかとは思うのですが…

ハッキリ言って、個人的には全くここに合わない不要なものに思えてしまい、ちょっと引いてしまいました。

某く〇氏のことを私が好んでいないと言えばそれだけの話なのかもしれませんが、

どうなんでしょうか、こういうの。。

でも正直に、こういうのに対して私は違和感を抱く人なのですが…それは私だけですかね。

違和感のあたりについて少し書くと、

「有名デザイナーによる立派で斬新なハコモノを建てる」という発想自体に

まず私は共感できないということがあります。

主に境港のことについて書いた『こんなに楽しい!妖怪の町』にはこうあります

(確か、水木しげるさんが思っていることとして書かれてあった一文だったかと思います)。

 

 

鳥取県というところは、人口が昔からあまり増えないせいか、

昔の面影がいたるところにのこっていて(略)

その年月(何十年)がなんだか夢をみていたような気持ちさえしてくるほど変わりません

今の急速に変化が起こる時代において、これはあまり当てはまらないかもしれませんし、

変わらないことを「いい」とは言っていないわけですが、地域によって変化するスピードというのは異なります。

そして、変化のスピードが遅いから「悪い」「遅れている」ということは、

観光やまちづくりにおいてはナンセンスな考え方であるように私は思っています。

もちろん、人権感覚が「遅れている」と誰かを傷つけてしまうことが起こるので、

それが「遅れている」のはよくないのですが、

立派で斬新なハコモノができれば「ここも立派になったな」と認識されてしまうようであれば、

その方がよっぽどやばいと私は思います。

仮に悪い意味で(人権感覚などが)「遅れている」としたら、

それは「遅れている」ことを隠し、思考停止につながりかねないからです。


 

話を少し戻すと、「遅れている」ことと「残っているものを大事にする」こととは

当然イコールの関係ではありません。

鳥取の「変わらなさ」はある意味で「残っているものを大事にする」ことができているということかもしれず、

それはある種の「進歩」であると私は考えます。

立派なハコモノに依存せず、「残っているもの」に目を向けて

観光やまちづくりを進めていくことはもはや「ふつう」のことだろうと思います。


 

ちょっと私的には「んっ?」と思うような内容がちらほらありましたが、こちらの本で著者の国分氏は

 

 

街づくりには歴史や文化、風土、さらには地域特有の景観などに配慮することは不可欠

それらは街の財産であり、地域住民はもちろん、国内外の観光客を魅了しつつ、

人を集めるきっかけにもなりえるためだ。

しかし、そのような認識がないまま進められてきた街づくりは、全国各地で行われている。

と書いています。

果たして鳥取(砂丘)はそのあたりが大丈夫だろうか…と正直思ってしまったのです。

「配慮」されているのかもしれませんが、本当に「魅了」するのだろうか…と思うのです。


 

もうひとつ、違和感の中身について書けば、

果たしてこの施設を地元の人たちは喜んで利用しているのだろうかというのが私の中にあります。

利用しているならばいいのですが、どう見ても外向けのものに見えたんですよね、私には。

これもまた国分氏はこう書いています(少し長いです)。

観光地化というよりも、地元住民の利用を主体とし、かつ、

外からも人が訪れる場所づくりを目指したほうがいい。

観光地化ではなく、場づくりである。地元の人でにぎわう場所には、必ず来街者も訪れる。

外から人を呼び込むことを意識しすぎると、方向性として、観光地化に向かいやすい。

まずは地元の人が集う場づくりが大事だ。

そして、最終的なイメージとしては、地元の人8割、来街者2割ぐらいだろうか。

ターゲットは地元の人主体のほうが、人が集まる場づくりとして成功しやすい。

そのためにも、地元にきちんと発信することが大切だ。

少なくとも、地元の人から「利用したい」と思ってもらえない施設は論外である。

つまり、ファーストステップとして、きちんと地元の人に愛されるかどうか。

そのうえで、来街者を呼び込む魅力を発揮しているかどうかが問われることとなる。

それは、あらゆる地域の街づくりにおいて共通する事項だろう。

ファーストステップがどうなっているのかどうかと、私には気になって仕方ありませんでした。。

少なくとも私が地元の人なら、いらないし利用しないだろうと思ってしまうのです…。
 

地元の人から愛される施設は、来街者も必ず訪れたくなる。

人が集まり、にぎわいのある場づくりをするために、

正しいバランス感覚をもって街づくりを行うべきだ。

まさにこの感覚をもって観光やまちづくりは進められるべきだろうと私は思います。

鳥取の楽しい旅行が一気に興覚めしてしまった感は正直否めず、、

でも地元の人に愛されているならそれは私の問題に過ぎません(そのようであれば謝罪します)。

どうかそのようになっているといいなと、、

なっていないなら私は断固受け付けない姿勢でいたいなと思ったのでした。