笠岡市でのお試し暮らし体験記㉙では、に続き、

福山市にある人権平和資料館(以下、資料館)について書きたいと思います。

㉘では資料館の中にあった福山空襲に関する展示内容を書きましたが、

ここでは部落の歴史から人権について考える展示内容について書きます。


 

みなさんは部落差別(同和問題)をご存じでしょうか?

「ご存じでしょうか?」などと言うことがもはや暴力的なものを含んでおり、かつ、特権的な行為であること。

そしてまた、そんなことを言いながら私も詳しくない(でいられる特権がある)というあたりに、

この問題を語る難しさ―大きな距離がある感覚―を今なお私自身書きながら感じているのが正直なところです。

とは言え、この問題について「知りたい」と感じさせる経験が私には二つあって、

今回資料館に訪れたこともあったことから書こうと思い至りました。

先に二つの経験について触れておくと、ひとつは確か学生の頃、

ある人から「○○は「部落」なんだぞ。知らないなら「部落」という言葉を調べろ」と

(マイナスの意味で)言われた経験。

もうひとつは、東日本大震災後に東北に移り住んだ時に

「このあたりでは集落のことを部落って言うんだよ(だからそう言っても大丈夫だからねと)」

と言われた経験があります。

長い前置きとなりますが、このあたりを辿りながらこの問題について考えてみたいと思います。


 

まずひとつ目の経験のことですが、これは上記からわかるように、

明らかに悪意のようなものを感じる言い方をされたものであったため(腹が立ちました)

なんだか不快なものとして「部落(問題)」を認知してしまい、

調べたところで(そもそも調べろと言われて調べるとか普通に不快)

まともな捉え方もできないだろうとスルーしてしまっていました。

それでもどこか頭の片隅に「それはなんだろう」という問いはあり、放置したまま数年が経ち、

そして、東日本大震災が起こり東北に移り住むようになるというふたつ目の経験をすることになります。

移り住んでからわりと早い段階で

(もしくは完全に移り住む前だったかもしれませんが東北でのことなのは確実です)

地域の人との会話の中で

「この部落は~あっ、こっちでは集落を部落って言うからね。京都とか西の方ではあんまりあれみたいだけど~

といったような言葉をかけられる経験を私はしました。

こうした経験は一度や二度ではなく繰り返しすることになり、

このあたりではそうした会話はもはや当たり前

(誰かに説明するときの前置きとしてフレーズとなっているかのよう)になっているのかも?と感じられました。

地域の中にある「当たり前」=「日常」に触れたい・知りたいと思っていた私は、

それらを頻繁に耳にしたので、

「部落」というものについても少しは知っておかないといけないのではないか?と考えるようになります。

しかし同時に、ひとつ目のあの苦い記憶が残っていることで、どうにも中途半端にしか触れられずにいた…

そして、資料館にたどり着いて、改めて考えてみたいと思うようになったというのが大まかな流れとなります。

資料館に部落問題のことが展示されているとは思わずに訪れたのですが、

資料館の力を借りて初めて私なりにこの問題について言葉にしてみたいと思っているところです。

(なお、その前に東京都人権プラザに行ったこともあったのでそちらの力もお借りします)


 

では、部落問題とは何かですが、これは教科書的にはこのように説明されるようです。

同和問題(部落問題)とは、日本社会の歴史的発展の過程で形づくられた身分制度や歴史的、社会的に

形成された人々の意識に起因する差別が、様々なかたちで現れているわが国固有の重大な人権問題です。(東京人権プラザより)

これだけではちょっとぼんやりとしているように思いますが、

日本社会では生まれた場所等によって身分が定められる時代があり、

それが社会の発展と共に「なくなった」はずであったのに今も残っているということなのかなと

(教科書的な書かれ方を理解しようとすると)私は理解しています。

こう書くと、「一部の人たち」が不利益を被っているだけという見方もされてしまうように思いますが

―たいていのマイノリティ問題とされるものはそういう見方をされてしまうものですが…―

資料館では「同和対策審議会答申1965811日」の

同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、

日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。

同和問題を未解決に放置することは断じて許されないことであり、

その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である。

という言葉を通じて、すべての人に関わる問題であると記されています。


 

この答申は60年以上も前の話でありますが、

現在もなお、同和地区(被差別部落)の出身という理由で様々な差別を受け、

基本的人権を侵害されている人々がいます。(東京人権プラザ)

と言われており、部落差別の問題は続いています。

では、そもそも部落差別の問題がいつから起こっているのかということについてですが、

資料館では「被差別部落がいつからあったか」について明らかになっていないとしつつ、

16世紀末から17世紀中ごろには、

一部の人びとを「賤しい身分」として特定の地域に住まわせる状況が作られていた。

と記されていました。そこには

政治的意図によってつくり出され、多くの人びとに差別意識をうえつけることになった

ともあり、そうした人々の死後は、

戒名として「しもべ男」「遊女」などの言葉が使われていた

といった生まれてから死ぬまで人権侵害をされてきた人たちがいる歴史が残されています。

時代が変わっても、特に江戸時代から明治時代へとなって身分制度が廃止されるも、

1872年に壬申戸籍といった日本で初めて作られた戸籍において、

江戸時代に「被差別身分」とされた人たちだけを別冊にしたり、

特別な肩書を付けたりして、以後100年もの間、身元調査に悪用された

と言われており、これは東京人権プラザにある

都内においても、身元調査に使われかねない戸籍謄本の不正取得や差別的落書き、

不動産取引の際の同和地区に関する問い合わせなどの事例が発生しています。

とさほど変わりません。

当時の人びとは黙っていたわけではなく、一揆を起こすなどで抵抗の姿勢を見せてきましたが、逆に

平等を求めるようになった西日本各地で、被差別部落を襲う一揆が発生した

という理不尽な出来事が起こっていたこともまた事実であるようで、

これもまたtwitter上などでよく見られる「逆差別だ!」などと言いがかりをつけて攻撃する人たちが

一定数いることとさほど変わらないと思うのは私だけでしょうか。

60年の間、私たちは何をしてきのでしょう、と思わざるを得ません。


 

こうした、文字通り口を封じるような差別問題が起こり続けている一方で、

部落問題(に限らずですが特に見えにくいとは思います)は見ようとしないと見えない問題であることから、

それを「知らない」という人も多いのもまた現実のようです。

資料館にあった福山市の『人権尊重のまちづくりに関する市民意識調査』によると、

https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/uploaded/attachment/182765.pdf

20代の45%が「同和問題について知らない」と回答したとあります。

50代以上となると知らないという人はほとんどいなくなりますが、

「学校の授業で習ったから知っている」という数が高く、

60代以上に見られる「家族・親せき・職場・近所の人から聞いた」という数は

着実に低くなっていることがわかります(20代はそこが高く「学校の授業で習った」が低くなっていますが)。

これは「身近で語られなくなっている」ということであり、

授業などで扱われないとより「見えなくされる」ということを表しているように思います。

資料館には「部落差別があると思うか?」の回答が

2003年時点では「ある・少しある」が81.8%だったのが、

2010年には51.3%となっていることが展示されています。

この結果は「語られなくなる」ことと「見えなくされる」ことによる必然的な結果のように見えますが、

これはある種「なくなったということではないか」といった見方がされることがあると考えます。

しかし、冒頭でも書いたように、現在でも部落差別の問題はあります。

『東京に部落差別はない?――見えない差別を可視化するBURAKU HERITAGEの挑戦』という記事で、

この記事を書いた上川氏は東京都が2014年に行った

「人権に関する世論調査」の「同和地区出身者との結婚について」の項目の結果を分析し、こう書いています。

もしも部落差別はもうないというのならば、図1の設問の回答は

「子供の意志を尊重する。親が口出しすべきことではない」が100%になるはずである。

しかしどうだろうか。100%どころか、そう答えているのは46.5%と半数にも満たない。

また、これらを統括して、

この調査ひとつをとってみても、部落差別が未だに存在し続けていることも、

西日本だけの問題でないこともおわかりいただけるであろう。

しかも、前回の調査よりも今回の調査の方が差別の傾向は強くなっている。

と書いています(詳しくは上記記事の原文をお読みください。大事な内容が書かれています)。

少しずれてしまいますが、この記事を読んで私は東日本大震災後、

福島出身の人たちの中に出身を名乗れない人がいる―特に結婚の時―といった問題が起こっていることを

思い出しました。

正確には福島出身と名乗ると結婚を破棄される可能性があるということであり、

原発事故により被ばくしたと思われることから、

いわゆる放射能差別とでも言うようなことが起こっているということです。

福島のこの問題は原発事故というある種わかりやすいことが起こったことで発生しているわけですが、

部落問題はそのわかりやすさが一切ない中で、

これまで脈々と続いてしまっている問題であると思われ、その根深さを思わされます。


 

話を戻すと、上川氏の文からもわかるように、部落差別は明らかにあり、

西日本だけの問題でもなく、全国民の問題です。

差別の傾向が強くなっているのには様々な要因があると思いますが、

これまで書いてきたような問題があり、「見えない」ということが大きく影響しているのだろうと考えます。

それが差別の連鎖、それによる傷つきをまた生んでいく…。

そのことを上川氏はこう言います。

私は部落差別を身近に感じながら、

一方で部落差別に無理解で無関心な人たちに囲まれてこの東京で生きてきた。

部落問題を知らない友人知人もたくさんいたし、

「知らない人が増えれば差別は減るのになんでわざわざ教えようとするの?」

「被害者意識が強すぎるんじゃないの?」という反応をされることにも慣れっこになっている。

しかし、だからといって傷つかないわけではない。

部落差別の存在が、部落差別によって苦しんでいる人たちがいる事実が、

こんな風に無化されている社会で生きているのだという現実を、その都度突きつけられているからだ。

被害がないことにされるというのは、大変大きな暴力です。

ホロコースト否定論について以前触れた時に書いたように思いますが、

歴史を修正するということ、その人の痛みを認知しないということは、

加害をのさばらせたままにし、被害者の声・存在を握りつぶす行為と私は思っています。

ではどうしたらいいのでしょうか。

ここでも上川氏の言葉をお借りすると

大義名分ではなく、「わたし」がリアルだと思う情報を、

「わたし」を主語にして、「わたし」の生活の一部として伝えていく。

このことの意味と、このことを難しくしているものが何かを考えていくことが

まず必要なのかもしれないと私は思います

60年間、進展どころか悪化を見せるかのような部落差別の問題について、

このまま放置するのではなく、「なかったことにする」加担者であり続けていることに

敏感になる必要があるのでしょう。

東京都人権プラザでは

(さらに)インターネットへの悪質な書き込みなど

情報化の流動(文字の読み取りが不正確)に伴ってその状況にも変化が伴っています。

とありました。

こうしたことを受けてなのか(勉強不足で申し訳ないですが)福山市では

登録型本人通知制度(※)という制度を導入しており、それによって不正取得を未然に抑止し、

人権を守る取り組みを行っているということも今回初めて知りました。

戸籍謄本などの不正取得により、個人の人権が侵害されることを防止・抑止するため、

代理人や第三者への証明書を交付したときに、事前に登録した人へ、その事実を知らせる制度

こういった制度は間違いなく必要でしょうが、

これは不正をする人たちがいるから必要となっている制度であると言え、

変わるべきは誰なのか、問題はどこにあるのかが問われなければならないと思います。

それは上記で説いたことと矛盾しないでしょう。


資料館の部落差別展示の入り口には憲法第14条が大きく展示されています。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分、又は門地により、

政治的、経済的、又は社会的関係において、差別されない

この当たり前のことを改めて認識し、

見えないからと言って「ないことにしない」ことをはじめていきたい。

資料館には『団結と連帯』といったタイトルの消防ポンプもありますが、



これは同和地区の人びとがお金を積み立てて購入したもののようで

当時の貧しいくらしと厳しい差別の中にあって、

自分たちだけでなく、地域全体を守るためにと頑張ってきた

証であるようです。

ホロコースト記念館で繰り返し書いたと思いますが、差別で人は死にます。

でも、差別は悪意があってもしてしまいます。

部落問題が語られないことで衰退をしていることを考えれば、『団結と連帯』にあるように、

自分たちだけではなく「語られない」「見えにくい」問題について見て語る必要があるのでしょう。

レイシズムをなくすためのセンターの所長(アメリカテキサス州)であるチェリースタインウェンダーは

「子どもをレイシストに育てるにはどうすればいい?」に対して、こう言っているそうです。

ひとつ目、差別について語らないことです。

ふたつ目、実はふたつ目はありません。

自分の言葉で部落差別について語り、学んでいたいと改めて思います。