笠岡市でのお試し暮らし体験記㉔では、㉓に引き続き、

福山市にあるホロコースト記念館について書きたいと思います。

ここではホロコースト記念館の展示内容や資料から得た学び

―主にホロコーストが起こるまでーについて書きます。


 

ホロコーストという言葉を知らないという人はほとんどいないかと思いますが、

ホロコーストの元の意味まで知っているという人は、

それほど多くないのではないかと思います(私は知りませんでした)。

そもそもホロコーストとはどのような意味の言葉かというと、

これはギリシャ語で「火で焼かれたいけにえ」を意味する言葉で、

「人を焼き殺す」といった意味を指すものであると言われています。

それがナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺をあらわす言葉として使われるようになり、

広く知られることになりました。


 

改めてホロコーストの概要とホロコーストが起こるまでについて(大雑把なものですが)見てみたいと思います。

ホロコースト=ナチス・ドイツによって虐殺されたユダヤ人(のみではないようですが)の数は

およそ600万人にものぼるとされています。

その600万人のうち150万人が子どもたちと言われており、

彼らは「ユダヤ人ととして生まれた」という理由だけで命を奪われました。

あまりに信じがたく恐ろしい出来事ですが…

そのプロセスは決して今後も起こらないような遠い過去のものというわけではありません

(それがまた恐ろしいのですが…)。

ホロコーストを起こしたナチス・ドイツの指導者であるヒトラーは、国民によって選挙で選ばれた人でした。

国民がナチスを、ヒトラーを選んだのです。

今から見ればなんでそんな人を選んだのか、なんて愚かな選択をしたのか…と思いますが、

そうした選択をすることになった時代の背景・流れがありました(正当化・肯定する意味ではありません)。


 

当時、第一次世界大戦で敗戦したドイツは返せないほどの負債と大量の失業者を出し、

物の値段も上がり、国民の不安と不満は募るばかりといった状況でした。

社会全体が混乱と不安に包まれる中で、

こうした状況を打開するためにヒトラーがけしかけたのはこの状況をユダヤ人のせいにすることでした。

ヒトラーによる「すべてはユダヤ人のせいだ」というかけ声は、

もともと根深くあったユダヤ人差別と相まって、当時の人びとを煽っていくことになります。

社会に希望を見出せない中でそれは、ドイツ国民にとって

ある種の生きるエネルギーとなってしまったとも言えるのかもしれません。

こうして「この状況をなんとかしてくれる!」と国民に思わせたナチス、ヒトラーの支持率は

どんどん上がっていき、最終的には猛烈な支持を得てヒトラーは首相に選ばれます。

ヒトラーは国民に選ばれたことで文字通り独裁者として突き進み、

自由に法律を定め、反対する人たちを強迫したり収容したりと、やりたい放題の政治を行います。

中でも象徴的なのが、差別を法制化したことです。

記念館の資料「差別の始まり」にはこのようにあります。

1935年、ニュルンベルク法という、ユダヤ人差別の法律がつくられました。

この法律によって、ユダヤ人は市民としての権利をすべて奪われ、劣った民族とみなされました。

さらに

ユダヤ人がしてはならない禁止事項は1000以上におよびました。

このほかにも、5歳以上のユダヤ人の服の左胸に黄色いダビデの星をつけることが義務付けられました。

 

ヒトラーが定めた法により、ユダヤ人は次から次へと権利を奪われ排除されていくことになりました。

具体的には、ユダヤ人が経営している店では買い物をしてはいけない

(買い物をすれば裏切り者のシールが貼られる)。

「ユダヤ人出ていけ」という子ども向け人生ゲームが販売される(100万部発売された)。

ベンチの使用やプールの使用をユダヤ人のみ、あるいはユダヤ人は禁止とする…

などなどといったことが挙げられ、こうしたあまりに理不尽なことが

「法として」当たり前に行われるようになっていき、日常化していったのです。

他にも、ユダヤ人にとって最も聖なる巻物の聖書が切り裂かれ、

300以上のユダヤ教会(シナゴグ)が火をつけられるということも起こるようになっていきました。

「水晶の夜」と呼ばれるユダヤ人攻撃(ここでは端折ります)も起こり、

差別はやがて積極的な攻撃・暴力へと移っていきます。

そして、第二次世界大戦がはじまり、大量の収容所がつくられ…いよいよホロコーストが起こったのです。

 

あまりに大雑把ではありますが

―もっと歴史を掘り下げたり群集心理として捉えたりなど様々な視点で考えるべきことと思います―

ホロコーストが起こるまでを見てきました。

こうして見てみると、最初に書いたようにこのプロセスは決して遠い過去のものでなく、

むしろ今日本の状況とさほど大差がないと言えると思うのは私だけでしょうか。

日本は現在コロナ禍と政治の腐敗により、社会全体が混乱と不安で蔓延しています。

そして世界ではロシアによるウクライナ侵攻が起こり、北朝鮮のミサイルが飛んできている…と、

国民はどんどん煽られていっています。

どうやら世界には日本を貶める「敵」がいて、国内には「売国奴」がいる。

生産性のない人たちもいるし、軍事費を増額して武器をもてばなんとかなる…

そんな風にして、差別と憲法違反(やりたい放題)を堂々と進め、広めていく政治家たちがいます。

彼らは話し合うべきところを閣議決定という方法でやりたい放題に決めていき、

そうした人たちを―統一協会の票田などがあるとしても―選挙で選んでしまっていた

(もちろん政治は多数決ではありません)というのが今のように思います。

このまま何の歯止めもかけずに進んでいけば、

取り返しのつかないところまでこの国は進んでしまうだろうと思い、非常に強い危機感を抱いています。。

 

憎悪のピラミッドというものをご存じでしょうか。

ホロコーストに至るまでには段階があるとされており、ピラミッドで図式化されたものです。

一番下は偏見による態度で、それが偏見による行為へとなっていく(段が上がっていく)。

それが進むと差別行為となり、さらには暴力行為へとなっていき、

最終的にはジェノサイド(虐殺の意でホロコーストとほぼ同じ)に至るとされています。

ホロコーストはまさに差別を広めたことで起こっており、

私たちは差別の根っこをしっかり抜くように努力せねばなりません。

差別する政治家を野放しになどしていては絶対にいけないのです、が、この国はどうでしょうか。。

差別する政治家を応援する人たちがいて、「差別で人は死なない」と遠くから言う人たちがいて…

暴力・ジェノサイドはもうすぐそこであると気づかないと手遅れになるのではないかと私は思います。


 

もうひとつ、今の日本の状況とあまり大差ないのではと感じるのに「無関心」があります。

投票率の低さは言われ続けていますが、政治に関心がない、誰かの人権侵害に関心がない、

関心がないどころか、もはや強い方に便乗する方に傾きつつあるのが現状のように思うのですが、

どうでしょうか。

日本は「出る杭は打たれる」ということわざがあるくらい、声をあげづらい国かもしれません。

しかし、だからと言って無関心でいては、打つ側でいては誰にとっても絶対にプラスになりません。

ホロコーストでは、ユダヤ人のシナゴグが火をつけられた時、民衆はただ見ているだけであったと言います。

NHKスペシャルの特集ではこうした言葉がありました

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。

ナチスがユダヤ人を連行して行ったとき、私は声を上げなかった。私はユダヤ人ではなかったから。

そしてナチスが私を攻撃したとき、私のために声を上げる者は誰一人残っていなかった。

この記念館でも「ホロコーストは無関心の産物」であるというメッセージが一貫してあります。

「知っていて黙っていた人も協力者」であるという厳しい言葉もそこにはありました。

私自身、行動が足りているかと言えば自信ありませんが、

「動かなければ協力者になる」ということを自覚しなければならない、忘れてはいけないと強く強く思います。

記念館にはホロコーストからの生還者であるエリ・ヴィーゼル氏の言葉があります。

「どうして、こんなことがおこったのか?

なぜ教養のある人たちが、ユダヤ人を皆殺しにしようとしたのか?

どうして平気な顔をして、何千、何万もの子どもたちを殺すことができたのか?」

ここで見聞きすることの中から、その答えを見つけてください。



本当に、この一年は重要な年になると思います。

なんとか連帯して抵抗して生きていくことができればと強く思います。

それが「歴史から学ぶ」ということではないかと思うのです。